INDEX

  • 願成就院
    関連人物 北条時政,北条義時,北条泰時
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 火曜日、水曜日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ガンジョウジュイン)
    創建は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)。
    源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、北条時政が建立しました。
    歴史書「吾妻鏡」には、時政が建立してから三代執権北条泰時の頃までの様子が記されています。
    時政が建立した大御堂と南塔、二代執権北条義時が亡父時政公供養として建立した南新御堂、三代執権北条泰時による北條御堂と北塔の建立など、堂塔伽藍の営作は北条氏三代にわたります。
    そして、承久2年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする旨が朝廷よりくだされ、この地に「浄土様式」の壮大な寺院が北条氏の寺として造営されました。昭和48年(1973)に、境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として国指定史跡になっています。
  • 香山寺
    関連人物 山木兼隆
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (コウザンジ)
    香山寺(臨済宗)は、源頼朝が源氏再興の挙兵をした際に、最初に標的とされた平氏の目代であった山木(八巻)兼隆が建立した寺。
    その後、鎌倉の報国寺開山の天岸慧広が足利家時を開基として開き、北条早雲が中興しました。
    早雲は、京都大徳寺八十三世となった以天宗清(いてんそうせい)を住まわせ、子の氏綱は箱根湯本の早雲寺の開山に迎えたといわれています。
  • 史跡天野遠景供養塔
    史跡天野遠景供養塔
    関連人物 天野遠景
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (シセキアマノトオカゲクヨウトウ)
    天野遠景は、治承4年(1180)に伊豆国に流されていた源頼朝の挙兵に当初から参陣しています。石橋山の戦いで頼朝は大敗してしまいますが、椙山に逃れた頼朝を守るため、加藤景廉・佐々木高綱・堀親家らとともに奮戦したと言われています。
    富士川の戦いでは、頼朝の挙兵に敵対した伊東祐親を捕縛しました。平家追討では源範頼に従軍。壇ノ浦の戦いを目前とした元暦2年(1185)3月11日には、西海(九州)において特に功があったとして、北条義時・小山朝政・小山宗政・中原親能・葛西清重・加藤景廉・工藤祐経・宇佐美祐茂・仁田忠常・比企朝宗・比企能員とともに頼朝から感状を受けています。
    頼朝亡き後は、正治元年(1199)の梶原景時の追放に関わり、建仁3年(1203)の比企能員の変では仁田忠常とともに比企能員を暗殺したと言われています。没年は不明とされています。
  • 史跡北条氏邸跡(円成寺跡)
    関連人物 北条時政,北条義時,北条政子
    営業時間 9:00~17:00(公開時間)
    QRコードの掲示場所は史跡の手前のため、いつでも読み取りはできます。
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シセキホウジョウシテイアト(エンジョウジアト))
    北条氏邸は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。北条氏邸跡が位置する守山は北条氏の本拠地で鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれていました。守山の東側には氏寺である願成就院が建てられ、北西側の谷の内部には館が建てられました。平成4年(1992)から平成5年(1993)にかけて行った発掘調査では平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物とともに建物跡が発見され、北条氏の館があることが確認されました。 弘元3年(1333)、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼(えんじょうに)という女性が中心になって、館の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、江戸時代まで続いたことが分かっています。 北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、北条氏の興亡を物語る遺跡として国指定史跡に指定されました。
  • 史跡北条義時の墓(北條寺内)
    関連人物 北条義時,北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (シセキホウジョウヨシトキノハカ(ホウジョウジナイ))
    ▼北条義時夫妻の墓 看板より
    北条義時は北条時政の次子で、源頼朝夫人の政子はその姉である。幼少より、江間の舘に育ち、江間小四郎と称した。頼朝の旗揚げ以来、父時政、兄宗時とともに従い、大功があった。
    鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の系統が絶えると、京都より頼朝の姉の曽孫にあたる藤原頼経を迎えて自らは執権となり、勢威を極めた。後鳥羽上皇はその専横を憤り、承久3年(1221)院宣をくだして義時を討とうとされた。義時はその子泰時、義時房に大軍を率いて京都に攻め上らせ、官軍を大いに破り、帝を廃し、後鳥羽、順徳、土御門の三上皇を配流した。これが世に言う承久の乱である。
    義時は承久の乱の3年後、元仁元年(1110)六月十三日に62歳で急死した。長子泰時らは、北条氏発祥の地にあるこの寺に墓を建て、追善の碑とした。なおこの墓は向かって右が義時、左が後妻伊賀氏娘の墓である。
  • 成福寺
    関連人物 北条時政,北条義時,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ジョウフクジ)
    浄土真宗大谷派の成福寺は、北条正宗入道によって正応2年(1289)に建立されました。北条正宗は、鎌倉幕府8代執権北条時宗の三男とされています。
    正宗は北条氏一族の菩提を弔うため、曾祖父・北条時政の持仏堂を基にこの地に一宇を開創し、正宗の長子・宗仁がこれを修造して成福寺としたと伝えられています。本堂北側には北条氏一族の供養塔があります。 現在は蓮の名所として知られています。境内には、約230種 250鉢もの花蓮が栽培されていて、毎年6月中旬から8月初旬には見事に咲き揃います。中には2000年前の種から発芽した花や、栽培が難しいとされる黄色い花蓮などもあります。
  • 眞珠院
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間 9:00~17:00(御朱印の受付時間)
    受付時間外でも敷地内に入ることはできます。
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シンジュイン)
    中世に始まる曹洞禅林としての眞珠院は、歴代の住僧たちによって、近隣の寺を末寺として取り込み壮大な寺院に発展しました。
    八重姫を祀る静堂があり、伝承によれば、恋仲であった頼朝を慕って伊東から山を越え北条館を訪れた八重姫は、頼朝の心変わりを知り、この寺の前にある真珠ケ渕に身を投じたといわれています。堂の前には「せめて梯子があれば姫を助けられたものを」という里人の思いから、今も小さな梯子が奉納されています。 境内には正安4年(1302)銘の定仙大和尚塔、建武2年(1335)銘の宝篋院塔と五輪塔、貞治2年(1363)銘の阿弥陀如来磨崖仏(いずれも市指定文化財)が残されています。
  • 珍場神社
    珍場神社
    関連人物 北条義時,安千代
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (チンバジンジャ)
    北条義時が大蛇に呑み込まれて亡くなった嫡子・安千代の霊を祀るために建立したといわれています。 伝説では、かつて伊豆国江間の池田には、大池があり、大蛇が住んでいたといわれています。 北条義時の嫡子である安千代は、珍野村にあった千葉寺からの帰り道、大池の大蛇に呑み込まれてしまいました。 家来たちから事件を知らされた北条義時は、大いに怒り、大蛇の左眼を射たといいます。すると、大蛇はどこかへ去っていったのだそうです。その後、池は徐々に浅くなり、田地となって、その地は「池田」と名付けられたと言い伝えられています。
  • 蛭ケ島
    関連人物 源頼朝,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒルガシマ)
    平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ヶ島に配流されました。
    永暦元年(1160)2月の14歳から、治承4年(1180)8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたといわれています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったといわれており、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三嶋の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。当時の蛭ヶ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(田島)であったと考えられます。 江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
    周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士に向って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
  • 北條寺
    関連人物 北条義時,北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ホウジョウジ)
    北條寺は、北条義時が創建した寺です。
    義時の嫡子が大蛇に襲われ命を失った時、七堂伽藍を建立し、仏殿の阿弥陀如来坐像(静岡県指定文化財)を運慶に命じ作らせたと伝えられています。また、本尊の木造観音菩薩坐像(静岡県指定文化財)は、中国宋風の仏像であり、南北朝期の作とされている。
    寺宝は、寺宝の牡丹鳥獣文繍帳(県指定文化財)は、北条政子が奉納したと伝わるものです。境内には、北条義時の墓(伊豆の国市指定文化財)があります。
  • 北条時政の墓(願成就院内)
    関連人物 北条時政
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 火曜日、水曜日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ホウジョウトキマサノハカ(ガンジョウジュインナイ))
    願成就院の中にある北条時政の墓。
    願成就院の創建者(開基)であり、国宝指定の運慶作み仏の檀越(施主)。
    伊豆国北條に館を構えていた伊豆の有力豪族の一人。源頼朝の岳父となり、頼朝の挙兵を扶けて鎌倉幕府の成立に貢献し、幕府初代執権に就任して、北條氏繁栄の礎となり、健保3年(1215)78歳で没しました。
  • 北条政子産湯の井戸
    関連人物 北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ホウジョウマサコウブユノイド)
    源頼朝の妻・政子は北条時政の長女として保元2年(1157)、伊豆の国市に誕生しました。
    その時に産湯の水をとったのが、この井戸と伝えられています。
    守山北麓の一帯は北条氏の屋敷跡で、後に堀越御所が造られました。
    この井戸の水は北条政子の伝承から、安産に霊験ありとして、近年まで妊婦に飲ませていました。
    また、昭和33年(1958)の狩野川台風の時、この井戸は泥水に浸からなかったため、付近の住民の飲料水ともなりました。
  • 北条義時館跡(江間公園)
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ホウジョウヨシトキヤカタアト(エマコウエン))
    北条義時が青年時代を過ごした場所。現在は石碑のみが建てられています。
    北条義時は、伊豆国北条郷の豪族北条時政の次男。
    江間四郎あるいは江間小四郎と呼ばれた義時は、分家の江間家の初代だったと考えられています。
    菩提寺の北條寺の近くにある江間公園は、義時邸があった所と伝えられる地です。
    江間公園にある碑には「北条義時(江間小四郎義時)屋敷跡」と刻まれています。
  • 豆塚神社
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (マメヅカジンジャ)
    『延喜式神名帳』にある「石徳高神社」に比定される式内社。 創祀年代は不詳ですが、かつては、当社の南にある男山(雄徳山)山頂に鎮座していたといいます。 北条義時が小池堀丸山(現伊豆縦貫道料金所付近)から現在の場所へと移したことが、江戸時代の板銘に記されている。
  • 守山八幡宮
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (モリヤマハチマングウ)
    願成就院の後方にある神社。治承4年(1180)に源頼朝が挙兵した地であり、源頼朝ゆかりの神社です。 境内の石碑には、「史蹟 源頼朝挙兵之碑」と題した石碑があり、次のように刻まれています。 「源頼朝 治承四年八月十五日守山八 幡宮に平家追討を祈願して挙兵 夜陰 源氏重恩の軍 兵数十騎 山木判官平兼隆を襲い討つ 其の間 頼朝  遥かに山木館の火煙を望み 悲願の達成を悦ぶ 蓋し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると 故に記して 建碑の所以とする」 現在の本殿は慶長2年(1597)韮山城主内藤信成の造営です。
  • 八坂神社
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヤサカジンジャ)
    創立年や由緒は諸説あるが、その一つとして北条義時が男山より遷座したと伝わる。毎年7月に天王祭が行われます。
    狩野川右岸の四日町地区の鎮守である八坂神社には、須佐之男命と奇稲田姫の命の二柱とともに牛頭天王が祀られています。寄棟造銅板葺の拝殿と覆屋があり、覆屋の中に江戸時代後期のものとみられる流造の本殿を納めています。また、末社として境内に大山祇神社が祀られています。
    牛頭天王については、正長元年(1428)に起きた「酉の満水」と呼ばれる洪水の時、狩野川上流の梅木村(現伊豆市)からご神体の木像が四日町に漂着し、それを祀ったという伝承がある。ご神体が流れ着いたとされる場所は、八坂神社から道をはさんだ向かい側にあり、現在も「降臨の地」として大切にされ、お天王さんの際に神輿が渡御する、お旅所となっています。