STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 蛭ケ島
    関連人物 源頼朝,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒルガシマ)
    平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ヶ島に配流されました。
    永暦元年(1160)2月の14歳から、治承4年(1180)8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたといわれています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったといわれており、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三嶋の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。当時の蛭ヶ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(田島)であったと考えられます。 江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
    周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士に向って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
  • 妙覚寺
    関連人物 六代
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミョウカクジ)
    日蓮宗の寺で、開山は日安、文永年中に創建されました。 寺伝によると、「平維盛の子六代は、仏門に入り文覚の弟子となって妙覚といった。建久年間文覚の謀叛に連座して、相模国手越川原において誅せられたが、その臣斎藤六範房が、六代の首級を抱いて千本松原に至り、以前の擬刑の地に埋めて、ひそかに下河原に移り住み、朝夕香花をたむけて六代の冥福を祈った。 範房は正治2年(1200年)に伊豆にのがれ住んだが、再び沼津に来住した。その孫に当たる利安は、日蓮が来沼して法を説くのを聞き、これに帰依して名を日安と改め、自宅を精舎として、満松山妙覚寺と号した。満松はこの地の旧名で、妙覚は六代の法名である。日安は当寺の開山で延慶元年(1308年)11月12日に遷化した。」と伝えられています。
    宝物として、日蓮真筆の曼陀羅・消息文をはじめ、日昭・日朗・日進・日実筆の曼陀羅数幅があり、今川・武田両氏の朱印状などを残しています。また、境内には、作家・井上靖が沼津中学時代ここに寄宿していた縁で、文学碑が造られています。
  • 安達藤九郎盛長の墓
    関連人物 安達盛長
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アダチトウクロウモリナガノハカ)
    安達藤九郎盛長は、源頼朝が伊豆の流人となった頃から側近として仕えていた武将で、頼朝の死後、鎌倉二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり幕政に参画しましたが、翌年66歳で死去しています。
    妻は頼朝の乳母・比丘尼の娘・丹後の局、娘・亀御前は、頼朝の異母弟・源範頼の妻であったため、この地に墓があると言われています。
  • 光り石
    関連人物
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒカリイシ)
    ▼光り石 看板より
    走り湯縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)より、道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た神様の降り立つ光り石です。神様の愛を受けて、良きことがありますように、光のパワーを沢山賜って光り石に触ったり、座ったりして楽しくお参りしてください。

    ※石そのものは、戦後に設置されたと言われています。
  • 十国峠(源実朝の歌碑)
    関連人物 源実朝
    営業時間 8:50~16:50
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジュッコクトウゲ(ミナモトノサネトモノカヒ))
    十国峠は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国を見渡せることからその名が名付けられました。 峠の最高部には、源実朝が箱根権現・伊豆山権現・三嶋大社を参拝する「二所詣」の際に詠んだ歌の歌碑が建てられています。 「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 この歌は実朝が22歳のときのものと言われており、沖の小島とは初島のことだろうと考えられています。『吾妻鏡』によれば、実朝22歳の建保2年(1214)は、正月と9月の2回伊豆山・箱根権現の二所詣が行われているとされている。
  • 間眠神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (マドロミジンジャ)
    ▼間眠神社縁起 看板より
    韮山蛭ヶ島に流された源頼朝が、治承4年源家再興の大願を立て、三島大明神に100日の丑刻祈願を行なった途上、路傍の祠の松の大樹の下でしばしまどろんだと伝えられている。
    またこの祠は往古大洪水により韮山の長崎より流着した稲荷神社であったと古老の口碑に伝わっている。
    祭神は豊受姫命である。後世、この松を頼朝公間眠の松といい、社を間眠稲荷または間眠宮と呼ぶようになった。
    大七五三縄は毎年長崎から奉納される。
  • 呼子坂
    呼子坂
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヨビコザカ)
    ▼史跡 呼子坂 看板より
    治承4年(1180)富士川の合戦に際し、源頼朝率いる源氏の軍勢がこの付近の高台一帯に陣を敷き、ここで呼子を吹いて軍勢を集めたことからこの呼び名が付けられたと伝えられています。
  • 走り湯
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ハシリユ)
    相模の海に臨む「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式源泉で、日本三大古泉の一つです。 今から約1300年以上前に発見され、山中から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から 「走り湯」と名付けられました。 「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。 奥行5mの洞窟から今も70度の湯が毎分170リットル湧き出ており、源泉は神秘的な光景が広がります。
  • 秋戸郷跡
    秋戸郷跡
    関連人物 北条政子,源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アキトノゴウアト)
    ▼秋戸郷 看板より
    この地は、北条政子が平氏の手より隠れ逃れた場所で、秋戸郷と言われている。 治承4年(1180)8月23日、源頼朝は石橋山合戦に挙兵しましたが、戦に敗れて安房に逃れました。 この間政子は、走湯山に身をひそめて頼朝の安否を気づかっていました。9月2日、政子は、伊豆山権現の別当文陽房覚淵:かくえん:の計らいで密かに熱海の秋戸郷(阿伎戸郷とも書く)に移されました。秋戸郷は足川を南の境とする走湯山:そうとうさん:の神域東南隅にあり、浜の方からしか入れないうえ、船着場も近く、神威を後ろ楯に覚淵の保護も行き届き、平氏方の捜査をくらませることが出来ました。その日のうちに土肥実平の子・遠平から、頼朝が安房に逃れるまでの経過を知らされたが、頼朝が船に乗ってからの事は分からないので、その夜の秋戸郷には喜びも悲しみも出る道がなかったのでしょう。この年の10月7日頼朝は鎌倉に入り、秋戸郷をたった政子は、12日、頼朝との再会を喜びあったと思われます。
    「吾妻鏡」、「熱海市史」他より
  • 六萬部寺
    六萬部寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ロクマンベジ)
    平治の乱後、伊豆国流罪となった源頼朝は、配流地の蛭ヶ島で父義朝の菩提を弔いながら過ごしていたといいます。

    六萬部寺の経塚は、頼朝が、父祖の冥福と源氏の再興を祈念し、法華経六萬部を埋納したと場所と伝えられており、経塚はもとは円墳だったものを利用したものだといいます。
  • 法華寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ホッケジ)
    本堂前に頼朝が腰かけたと伝わる腰かけ石があり、かつては、頼朝が衣をかけたといわれる「衣かけの松」もありました。
  • 大瀬神社
    関連人物 源為朝,源頼朝,北条政子
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (オセジンジャ)
    大瀬神社の祭神は引手力命(ひきてちからのみこと)で、延喜式に記載される田方郡の式内社「引手力命神社」ではないかといわれています。駿河湾北部沿岸の漁民の信仰を広く集め、船を新造する時には、必ずこの神社に参詣し、海上の安全を祈念したといわれています。
    また、神社には古来から武術の霊験があるといわれ、源為朝が伊豆大島に流された際、海を渡って当社に祈って傷をいやし、以前に増して力を得たといわれています。また、源頼朝や北条政子も太刀や鏡を奉納したと伝わりますが、津波によって失われてしまいました。
    大瀬神社がある大瀬崎は、駿河湾に細長く突き出た半島で、駿河湾の海流によって土砂が堆積した砂嘴(さし)という特殊な地形です。岬の先端にある神池は、海が近いにもかかわらず真水であることから、伊豆の七不思議に数えられています。また、神域には樹齢数百年といわれるビャクシンの古木が多数生い茂り、国の天然記念物に指定されています。
  • 畠山重忠の桜
    関連人物 畠山重忠
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ハタケヤマシゲタダノサクラ)
    畠山重忠が、陣所の近くに植えたサクラだとか、馬をつないだ駒止のサクラだとかいわれています。
  • 吉佐美八幡神社
    吉佐美八幡神社
    関連人物 源頼朝,菖蒲前
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源
    (キサミハチマンジンジャ)
    伊豆の国司であった頼政公とその妻菖蒲前の碑があります。相殿三島神社は式内竹麻神社の一座に比定されています。神社境内のイスノキは国の天然記念物です。
  • 藤原光親の墓
    藤原光親の墓
    関連人物 藤原光親
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (フジワラノミツチカノハカ)
    承久の変(承久3年(1231))のとき、後鳥羽上皇が北条氏の討伐の企てに際し、藤原光親卿は極力時期尚早を上奏しましたが聞き入れられず、義時追討の案文を書きました。
    謀議はいち早く鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、甲斐武田五郎信光により、鎌倉護送の途中の篭坂峠において斬首されました。
    毎年5月に地元の人々により、慰霊祭がとり行われています。
  • 心経寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (シンギョウジ)
    創建年代等は不詳だが、法相宗の寺であったものを頼朝の命によって真言宗に改め、寺号も神鏡寺と称するようになったと伝わる。応永22年(1415)に臨済宗に改宋し、寺号も心経寺に改め現在に至る。永禄12年(1569)の北条氏と武田氏の戦いの際には北条氏の本陣が置かれた。門前の道は三島八小路のひとつである上小路。
  • 日吉神社
    日吉神社
    関連人物 源頼朝,鮫島四郎
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヒヨシジンジャ)
    富士郡鮫島村出身の鮫島四郎宗家の氏神です。
    宗家は頼朝が韮山で平氏追討の旗揚げをしたときから頼朝に仕えた武士で、富士川の合戦では道先案内をつとめたと考えられています。
  • 加藤景廉一族の墓
    関連人物 加藤景廉
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (カトウカゲカドイチゾクノハカ)
    加藤景廉は、平安末期から鎌倉時代初期の武将です。藤原利仁の流れを汲む加藤景員の子で、元々は伊勢の国を本拠としていましたが、源頼朝が源氏旗揚げの際、兄の光員とともに伊豆に下り、狩野茂光(かのもちみつ)らの協力を得て土着勢力となりました。 治承4年(1180)に源頼朝が平氏打倒のため挙兵するといち早く参じて平氏の目代・山木兼隆を討ち取る大功を立てたと言われています。
    以後、鎌倉幕府創設に献身努力し、頼朝から遠州浅羽、美濃遠山、伊豆牧之郷等の所領を与えられ、岐阜県遠山地方の要衝岩村(恵那市岩村町)に城を築きました。後に嫡男の遠山景朝に城を譲り、牧之郷に帰ると、源平の合戦で亡くなった人達の精霊供養のため、読経三昧に明け暮れたと言われています。 承久3年(1221)の承久の乱において、宿老の一人として鎌倉に留まりましたが、8月3日に没しました。
  • 遠国島
    遠国島
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源
    (オンゴクトウ)
    田牛の岳浦というところにある島で、干潮時には歩いて渉ことができる。源頼朝が訪れ遊んでいたといわれ、中央に遠国明神の宮祠がある。
  • 境川・清住緑地(丸池公園)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (サカイガワ・キヨズミリョクチ(マルイケコウエン))
    市街地に位置する湧水地。境川が刻んだ谷の中に、富士山の溶岩の中を通ってきた地下水が湧き出しています。 湧水の湧く水辺は、行政や地域住民等の協働により親水緑地として整備され、ミシマバイカモをはじめとした水辺の生態系が維持されています。 緑地を流れる「境川」はかつて「駿河国」と「伊豆国」を分けた境界でもありました。 源頼朝が、国境争いの際、駿河の国と伊豆の国の境と決めたから「境川」と言われるようになったと伝えられています。
  • 頼朝井戸の森
    頼朝井戸の森
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヨリトモイドノモリ)
    富士の巻狩りを富士山麓で行った際、頼朝がのどを潤すために杯で飲んだ湧き水だと伝えられてきたことから、その水源を包む荘厳な森を「頼朝井戸の森」と呼ぶようになりました。

    ▼頼朝の井戸 看板より
    建久4年(1193)、将軍源頼朝公は、武威を天下に誇示し、且亦将兵の士気をも鼓舞せんものと、駿河国藍沢(御殿場地方)から富士野(上井出地方)に亘る広大な富士山の裾野で大規模な巻狩を催した。