STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 實相寺
    實相寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジッソウジ)
    源頼朝が平家打倒の祈願を行ったと伝えられています。
  • 相生堂
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アイオイドウ)
    平治の乱(平治元年(1159))の翌年、伊豆・蛭ケ島に流された源頼朝と、承安3年(1173)後白河法皇に京都・神護寺再興の寄進を強要した大罪により、伊豆・田方の奈古屋の毘沙門堂に配流の身となった文覚上人が、ひそかに会った相生堂跡が宮内地区にある。文覚上人はここで頼朝に平家討伐を説得し、しきりにその決意をうながしたといいます。

    頼朝と文覚上人は源氏再興について話し合ったことを記念して、ここにお堂を建てて観世音菩薩を安置し、2本の松を植えた。これがいわゆる「相生堂」であり、「相生の松」であります。建久3年(1192)平家と藤原氏を滅ぼして征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開いた頼朝は、文覚上人と会った日のことを忘れず、相生堂に対して寺領200石を寄進。また慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光が、12石の朱印状をこのお堂に与えています。
    しかし明治維新後廃堂となり、やがていつの間にか朽ちはててしまい、「相生の松」も枯れてしまった。ただ、生鉄和尚が書いた「相生堂」の扁額や、源頼朝・文覚上人の木像は近くの円通寺に移され、今もそこに往時のなごりをとどめています。
  • 愛童将軍地蔵尊
    関連人物 源頼家
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (アイドウショウグンジゾウソン)
    修禅寺に幽閉されていた鎌倉二代将軍・源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々によって建てられた笠冠地蔵。 元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の西北のたもとに移されました。 幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘にのぼって月を眺めてその憂さを晴らし、また里の子どもを集め共に遊びながら、鎌倉に残したわが息子・一幡に思いを馳せていたといいます。 23歳の若さで無残に暗殺されたことを知った里の人たちはとても悲しみ、浄財を集めて月見ヶ丘に地蔵を建立しました。 源頼家は、里の子ども達を大変かわいがった将軍であったので『愛童将軍地蔵』と呼ばれています。
  • 竃地名由来碑(諏訪神社)
    竃地名由来碑(諏訪神社)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (カマドチメイユライヒ(スワジンジャ))
    建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩りをした際に、この地にカマドを築いたのが地名の由来と言われており、夫婦石と呼ばれる一対の巨石が、この石が富士の巻き狩りでカマドとして使われたと伝わります。

    ※夫婦石やその説明の碑は別の場所にあり、神社では見ることができません。
  • 伊那上神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イナカミジンジャ)
    式内社で、創建は不詳とされているが、平安時代初期、弘仁2年(811)伊予国(愛媛県)越智郡三島より遷祀したといい、また一説に弘仁8年(817)国府三島より遷祀したとも伝えられています。 社名については文治元年(1185)文書に、伊豆国那賀郡三島宮、慶長5年彦坂九兵衛の神領付には「松崎上宮神領分」とあり、正徳2年(1712)の棟札に伊那上宮とある。寛政7年(1795)円通寺との山論(山林の境界の争い)の評定所裁決書には三嶋大明神とあります。 神職金指(差)氏は、豆州志稿によると伊予国河野氏の後裔で三島明神と共に当地に来たといわれています。 日本書紀の応神天皇の巻に、新羅王が造船の匠を日本に送ったことが記されており、古い伝えでは、当地にも帰化したこの猪名部が集落を営み、産土神として、伊那上、下社を祀ったという帰化人奉祀説があり、那賀川の上、下により区別され、伊那上は三島神社の系統へ移っていったと思われます。 平安時代、延喜7年(907)式内社に列し、伊那下神社とは相対的に存在した社であった。鎌倉時代、「承安3年(1173)源頼朝公参詣三島明神」と金指家過去帳にあり、のち頼朝より、社田寄進を受け、社殿宏壮で末社80有余、伊豆西海岸第一の宮であったといい、 本殿内の神像6躰(町指定文化財)は、鎌倉前期の作で、同中期の神鏡「松喰双鶴鏡」、「釣燈籠」は県文化財に指定されています。
  • 陣馬の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジンバノタキ)
    ▼富士宮歩く博物館 看板より
    「鎌倉時代の初め、建久4年(1193)のこと、富士山の麓で巻狩を催した源頼朝が、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いた。それから後、その滝を陣馬の滝というようになったと伝えられている。」
  • 沓間神明宮
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (クツマシンメイグウ)
    沓間の神明宮周辺は、御殿場地方の名称「御厨」(みくりや)の中心となった地域とされ、このあたりを中心として、伊勢神宮に寄進された荘園「大沼鮎沢御厨」がありました。御厨には必ず神明宮が勧請されています。
    社宝として、大江山の鬼退治で有名な源頼光(金太郎として知られる坂田公時は頼光四天王の1人)奉納の鏡があり、寛和2年(986)と刻まれています。 沓間(くつま)という地名は建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩をした時、神明宮で蹴鞠をした際に沓(靴)を社前に置いたという伝承からきているといわれています。
  • 新橋浅間神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間 月~金 9:00~12:00、13:00~16:30(社務所、境内は自由)
    定休日 土日祝(社務所、境内は自由)
    富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ニイハシセンゲンジンジャ)
    富士山東表口参道宮とされる新橋浅間神社の創建は不詳ですが、建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りをしたときの創建とされています。
    富士山開山時は御殿場口の起点として開山式、大わらじを担いで練り歩く「わらじ祭り」が健脚と良縁を祈願し行われています。 春には枝垂桜が社殿前を彩り、社殿向かって右手の湧き水「木の花名水」を求めて、多くの水汲みの参拝者が訪れます。
    富士の巻狩の折り、源頼朝が足をかけたとされている沓掛石があります。
  • 東林寺
    東林寺
    関連人物 伊東祐親,河津三郎祐泰
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (トウリンジ)
    曹洞宗、ご本尊は地獄菩薩、弥陀三尊(平安末期作)であり、今から約850年前伊東祐親入道をして嫡子河津三郎祐泰の菩提を弔った伊東家の菩提寺があります。
    また、河津三郎の墓、曽我兄弟の供養五輪塔、相撲協会による父子の追悼碑もあります。
    江戸時代には、末裔である飫肥藩伊東市が江戸との参勤交代時に東林寺に送った書状が残されている。
    ※参考『図説伊東の歴史』など
  • 田代信綱:田代砦跡
    田代信綱:田代砦跡
    関連人物 田代信綱
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (タシロノブツナ タシロトリデアト)
    田代信綱は、「平治の乱」で敗れ、伊豆国の蛭ヶ島に流されていた源頼朝に仕えていた武将です。
    父は、伊豆国の国守だった藤原為綱、母は狩野(工藤)茂光の娘と伝えられています。(後三条天皇の末裔だという説もあります。) 治承4年(1180)の源頼朝の挙兵に従い、源義経の麾下として、一ノ谷や屋島の戦いで活躍しました。その功績が認められ、狩野荘田代郷の地頭に任命されます。 
    承久3年(1221)の「承久の乱」でも功をたて、和泉国大島郷の地頭職を得たと言われています。信綱が治めていた田代郷の「田代砦跡」には、田代信綱の墓と伝わる五輪塔が建てられています。
    田代信綱の祖父狩野(工藤)茂光は、治承4年(1180)年の源頼朝の挙兵に従い、石橋山の戦いに敗れ自害しました。「田代砦跡」は、伊豆市田代にある丘上の約60坪の平地で、近くには曹洞宗の叢林寺があり、観音堂には田代信綱の守本尊とされる千手観音が祀られています。
  • 三嶋大社
    関連人物 源頼朝,北条政子,安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ミシマタイシャ)
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。 平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。 また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 虎御前の腰掛石
    関連人物 源頼朝,曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (トラゴゼンノコシカケイシ)
    曽我兄弟が仇討ちのために旅立った後、虎御前は兄弟の安否を心配して後を追った。虎御前がこの地に差し掛かった時に兄弟の絶命を知り、その場で泣き崩れて岩に腰掛けたという。その石が、虎御前の腰掛石として知られている。
  • 今宮神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イマミヤジンジャ)
    熱海の西部地区にある今宮神社は、古くより心願成就の宮として崇敬を集めてきました。御祭神は、事代主神と大国主神。創立は大変古く、今から1700年以上も前、仁徳天皇の御世と伝えられています。 源頼朝が伊豆に流されていた頃、熱海の山中に迷い込んだ際に大楠の下にあった社に祈り、無事に追手から逃れることができたことから、その後、殿を造営するなど心を尽くしたと伝わっています。
    毎年10/19・20には、例大祭を開催しています。
  • 日金山東光寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヒガネサントウコウジ)
    十国峠(熱海峠)の近くにある日金山の東光寺は、源頼朝が崇敬した走湯権現の元宮だったと言われています。 273年、大磯の浜辺に出現した光る鏡を祀ったのが始まりとされ、594年に走湯権現の神号を賜りました。その後、承和3年(836)、神霊が本宮山を経て、現在の伊豆山神社のある地に遷座されたと言われています。 源頼朝が源氏再興を祈願した日金山の地蔵を模した日金地蔵が横須賀市の東漸寺に伝わっています。
  • 三四郎島・瀬浜
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (サンシロウジマ・セハマ)
    源氏再興の昔、”伊豆の三四郎”と呼ばれる若武者が、中の島にきびしい平家の追求の目を逃れて隠れ住んでいたと伝えられています。
    治承4年(1180)、源氏の白旗は伊豆の空にひるがえり、頼朝の急使は仁科の豪族瀬尾行信のもとに走ります。
    三四郎に恋心を抱いている行信の一人娘小雪は、出陣の書状を抱きしめ、三四郎のもとに急ぎました。
    しかし、上げ潮の怒濤は凄まじく、小雪はついに波間にその姿を没してしまったと言われています。
  • 北条宗時の墓
    北条宗時の墓
    関連人物 北条宗時,狩野茂光
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ホウジョウムネトキノハカ)
    北条宗時は、北条時政の嫡男で北条政子の兄です。 治承4年(1180)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝に従いますが、頼朝軍は山木兼隆を討った後、8月24日、相模国の石橋山で大庭景親軍に大敗し、頼朝は山中へ逃れました。 『吾妻鏡』によれば、北条時政と宗時、義時の父子は頼朝と別行動をとり、時政と義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥(現湯河原町)から桑原を経て平井郷へ向かおうとしました。しかし、早河の辺で伊東祐親の軍に包囲され小平井久重に討ち取られたのだといいます。のちに時政がこの地に宗時を祀ったものと伝えられています。 大小二基の塔のうち、大きい方が北条宗時、小さい方が狩野(工藤)茂光の墓と言われています。 『吾妻鏡』によれば、建仁2年(1202)、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の追善供養を行っています。
  • 在庁道(頼朝道)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ザイチョウドウ(ライチョウドウ))
    三嶋大社の例祭には必ず参拝すると誓った源頼朝が、鎌倉から離れているために、安久にいる7人の農民に命じて交代で代参させたと伝えられています。彼らは「在庁」または「頼朝(らいちょう)」と呼ばれ、頼朝と同じ征夷大将軍の装束で代参していたといいます。
    この時に使われていた安久から青木に北上し間眠神社横に向かう道は、「在庁道」または「頼朝道」と呼ばれ、この風習は明治時代まで行われていました。
  • 宗徳院
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ソウトクイン)
    頼朝が三嶋大社へ百日祈願に通う折この寺の地蔵菩薩にも祈願したと伝わる。門前の橋は頼朝の乗った馬が跪いてついたといわれる窪みがあったと言われるが、橋の架け替えや河川改修を経て今は残っておらず、駒爪の橋の名前だけが残る。橋を渡ると頼朝が足痛の祈願をしたという祠があり、寺には年代不詳ではあるが頼朝像が安置されている。
  • 東岳院(きやり地蔵)
    東岳院(きやり地蔵)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (トウガクイン(キヤリジゾウ))
    鎌倉往還沿いに建つ臨済宗の尼寺です。
    堂内には、明治時代初めに奉納された浮世絵師歌川一雲斉国秀作の「源頼朝猟富士野之図」が掲げられています。
    この絵は、御殿場市民会館大ホール第2緞帳の原図にもなっています。
  • 北条時政の墓(願成就院内)
    関連人物 北条時政
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 火曜日、水曜日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ホウジョウトキマサノハカ(ガンジョウジュインナイ))
    願成就院の中にある北条時政の墓。
    願成就院は時政が創建した氏寺であり、国宝の運慶作5体の仏像が安置されています。
    伊豆国北条に館を構えていた伊豆の有力豪族の一人。源頼朝の岳父となり、頼朝の挙兵を助けて鎌倉幕府の成立に貢献し、幕府初代執権に就任した。北条氏繁栄の礎となり、建保3年(1215)78歳で没した。
  • 源頼家家臣十三士の墓(源氏公園内)
    源頼家家臣十三士の墓(源氏公園内)
    関連人物 源頼家
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミナモトノヨリイエカシンジュウサンシノハカ(ゲンジコウエンナイ))
    頼家の家臣であった十三士の墓です。
    鎌倉時代の歴史書である「吾妻鏡」によると、頼家公が暗殺された6日後の7月24日に、主君の無念を晴らすべく謀反を企てましたが、事前に事が発覚してしまい、後に侍所の所司にもなった金窪行親(かなくぼゆきちか)らの手により討ち取られたと言われています。