COURSE

  • 01駒門風穴

    富士山東エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県御殿場市駒門69
    関連人物 源頼家、仁田忠常
    営業時間 9:00~17:00(12~2月は16:00まで)
    定休日 月曜日(祝日は営業)年末年始は12月31日、ただし1月は第1、第2月曜日は営業
    富士山の爆発によってできた本穴290m、枝穴118.2mの溶岩洞窟が駒門風穴です。富士山麓では最大規模の溶岩洞窟で、国の天然記念物に指定されています。
    建仁3年(1203)、鎌倉幕府二代将軍源頼家による「富士の巻狩」の際、 その家来仁田忠常に命じて探検させた風穴と言われています。 風穴の中腹には頼朝窪と名付けられた窪があります。
  • 02対面石(八幡神社)

    富士山東エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県駿東郡清水町八幡39
    関連人物 源頼朝、源義経
    営業時間
    定休日
    静岡県駿東郡清水町の「八幡神社」の境内にある、1180年の富士川の合戦の折に、源頼朝と奥州より駆けつけた義経の兄弟が対面した時に腰かけたと伝わる石。
    もともとは今よりも北側にあったとされています。そばにその時植えられたとされる2本の「ねじり柿」があります。
    対面石(八幡神社)
  • 03三嶋大社

    北伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県三島市大宮町2丁目1-5
    関連人物 源頼朝、北条政子、安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。
    平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。
    また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 04かんなみ仏の里美術館

    北伊豆エリア 観光施設
    静岡県田方郡函南町桑原89-1
    関連人物 北条時政、北条宗時
    営業時間
    定休日
    函南町桑原区では、平安時代の「薬師如来像」や鎌倉時代の「阿弥陀三尊像」など、二十四体の仏像群が、里人の厚い信仰心によって守られてきました。
    これら仏像群の散逸を防ぎ、後世に保存継承していくための施設として、明治30年代後半、長源寺の裏山中腹に「桑原薬師堂」が建てられました。平成20年(2008)に桑原薬師堂の二十四体の仏像群が、桑原区から函南町に寄付されました。
    寄付された仏像群には、国指定重要文化財の阿弥陀如来及両脇侍像(略称・阿弥陀三尊像)の他に、静岡県指定有形文化財(薬師如来坐像、毘沙門天立像、聖観音立像、地蔵菩薩立像、十二神将立像)があり、その中にも全国的に貴重な文化財が含まれています。
    町民の財産である貴重な文化財を、後世に保存継承するとともに、多くの方々が鑑賞し、学ぶことができる施設として「かんなみ仏の里美術館」が設置されました。
    『吾妻鏡』に、石橋山合戦で戦死した北条宗時の墳墓堂が伊豆国桑原郷にあったことが記されていることなどから、「阿弥陀三尊像」は、北条時政が、戦死した息子 北条宗時の慰霊のために、慶派の仏師・実慶に造像させたのではないかと言われています。
  • 05伊豆の国大河ドラマ館

    中伊豆エリア 観光施設
    静岡県伊豆の国市四日町772
    関連人物 北条義時
    営業時間 9:00 〜 17:00
    定休日 水曜日(祝日の場合は翌日以降の平日)
    ※令和4年1月および2月は休まず開館
    ※令和4年4月29日〜5月8日の間は開館
    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送にあたり、設置された大河ドラマ館。
    ここでは、市内ロケを中心としたメイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介パネル等の展示を行っており、大河ドラマの世界観を存分に体験できる施設となっています。
  • 06大泉寺

    北伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県沼津市井出744
    関連人物 阿野全成、阿野時元、阿波局
    営業時間
    定休日
    源頼朝の異母弟阿野全成の居館跡といわれる地に建つ寺。
    境内には館跡を偲ばせる土塁が残っています。 全成が居館に建てた持仏堂が大泉寺のはじまりといわれ、当初は真言宗の寺でしたが、天正年間(1573~92)に曹洞宗に改宗されたとされています。
    ▼大泉寺 HP
    開基は法華院殿阿野法橋全成(ほっけいんでんあのほうきょうぜんじょう)である。牛若丸と弁慶の話は誰でも知っているが、源頼朝に今若丸(いまわかまる)という異母兄弟がいたことは余り知られていない。この今若丸がのちの阿野全成である。牛若丸と今若丸は源義朝と常磐の間に生まれ、平治の乱で義朝が敗北したあと寺に預けられたのも同じなら乱暴者で名が通っていたのも同じである。今若丸は醍醐の悪禅師とも呼ばれ、治承4年(1180)頼朝挙兵後その傘下に加わり、源平の争乱後駿河の阿野荘(沼津市今沢から富士市吉原にかけてを阿野庄といった)を賜って阿野全成と呼ばれるようになる。
    北条時政の娘(阿波局)と結婚し、現在の大泉寺あたりに館を建てその一隅に持仏堂を造り源氏一門の霊を慰めたのが寺の始まりで、最初は真言宗であったという。
  • 07曽我寺(鷹岳山福泉寺)

    富士山西エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県富士市久沢229番地
    関連人物 曽我十郎祐成、曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    曹洞宗のお寺で、境内には曽我兄弟の墓があります。十辺舎一九の『東海道中膝栗毛』の中に「曽我兄弟の石碑(お墓)」を参拝したことや、江戸時代の絵図に「曽我道」があることから、江戸時代には東海道を旅する人たちの名所として参詣したと考えられます。
    正式には「福泉寺」と言いますが、曽我兄弟がねむる寺として人々に「曽我寺」の名で呼ばれています。
    本堂には、兄弟の木像や位牌が安置されています。かつては、仇討ちを果たした5月28日の近くの土日に、曽我兄弟の供養祭が盛大に行われていました。今でも御子孫や関係者によって供養が行われています。
    曽我寺(鷹岳山福泉寺)
  • Pickup

    清らかな富士山の湧水が三島のうなぎを美味しくしています。

  • 三島うなぎ/三島市

1日目

  • 01高源寺

    北伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県田方郡函南町桑原1265
    関連人物 源頼朝、比企尼、丹後の局
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    源頼朝が石橋山の戦いに挑む際の旗揚げの地とされており、源頼朝が源氏再興の密議をしたと伝えられています。

    ▼比企尼の供養塔 看板より
    源頼朝が伊豆に流されたとき、頼家の乳母である比企尼も現在の函南町大竹に住み、頼朝公を守られました。
    敷地内にはその比企尼のものと伝わる供養塔があります。
    高源寺
  • 02三嶋大社

    北伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県三島市大宮町2丁目1-5
    関連人物 源頼朝、北条政子、安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。
    平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。
    また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 03対面石(八幡神社)

    富士山東エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県駿東郡清水町八幡39
    関連人物 源頼朝、源義経
    営業時間
    定休日
    静岡県駿東郡清水町の「八幡神社」の境内にある、1180年の富士川の合戦の折に、源頼朝と奥州より駆けつけた義経の兄弟が対面した時に腰かけたと伝わる石。
    もともとは今よりも北側にあったとされています。そばにその時植えられたとされる2本の「ねじり柿」があります。
    対面石(八幡神社)
  • 04伊豆の国大河ドラマ館

    中伊豆エリア 観光施設
    静岡県伊豆の国市四日町772
    関連人物 北条義時
    営業時間 9:00 〜 17:00
    定休日 水曜日(祝日の場合は翌日以降の平日)
    ※令和4年1月および2月は休まず開館
    ※令和4年4月29日〜5月8日の間は開館
    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送にあたり、設置された大河ドラマ館。
    ここでは、市内ロケを中心としたメイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介パネル等の展示を行っており、大河ドラマの世界観を存分に体験できる施設となっています。
  • 05蛭ケ島

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆の国市四日町12
    関連人物 源頼朝、北条政子
    営業時間
    定休日
    平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ヶ島に配流されました。
    永暦元年(1160)2月の14歳から、治承4年(1180)8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたといわれています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったといわれており、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三嶋の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。当時の蛭ヶ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(田島)であったと考えられます。 江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
    周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士に向って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
  • 06願成就院

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆の国市寺家83-1
    関連人物 北条時政、北条義時、北条泰時
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 火曜日、水曜日
    創建は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)。
    源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、北条時政が建立しました。
    歴史書「吾妻鏡」には、時政が建立してから三代執権北条泰時の頃までの様子が記されています。
    時政が建立した大御堂と南塔、二代執権北条義時が亡父時政公供養として建立した南新御堂、三代執権北条泰時による北條御堂と北塔の建立など、堂塔伽藍の営作は北条氏三代にわたります。
    そして、承久2年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする旨が朝廷よりくだされ、この地に「浄土様式」の壮大な寺院が北条氏の寺として造営されました。昭和48年(1973)に、境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として国指定史跡になっています。
  • 07北條寺

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆の国市南江間862-1
    関連人物 北条義時、北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    北條寺は、北条義時が創建した寺です。
    義時の嫡子が大蛇に襲われ命を失った時、七堂伽藍を建立し、仏殿の阿弥陀如来坐像(静岡県指定文化財)を運慶に命じ作らせたと伝えられています。また、本尊の木造観音菩薩坐像(静岡県指定文化財)は、中国宋風の仏像であり、南北朝期の作とされている。
    寺宝は、寺宝の牡丹鳥獣文繍帳(県指定文化財)は、北条政子が奉納したと伝わるものです。境内には、北条義時の墓(伊豆の国市指定文化財)があります。
  • 08大泉寺

    北伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県沼津市井出744
    関連人物 阿野全成、阿野時元、阿波局
    営業時間
    定休日
    源頼朝の異母弟阿野全成の居館跡といわれる地に建つ寺。
    境内には館跡を偲ばせる土塁が残っています。 全成が居館に建てた持仏堂が大泉寺のはじまりといわれ、当初は真言宗の寺でしたが、天正年間(1573~92)に曹洞宗に改宗されたとされています。

    ▼大泉寺 HP
    開基は法華院殿阿野法橋全成(ほっけいんでんあのほうきょうぜんじょう)である。牛若丸と弁慶の話は誰でも知っているが、源頼朝に今若丸(いまわかまる)という異母兄弟がいたことは余り知られていない。この今若丸がのちの阿野全成である。牛若丸と今若丸は源義朝と常磐の間に生まれ、平治の乱で義朝が敗北したあと寺に預けられたのも同じなら乱暴者で名が通っていたのも同じである。今若丸は醍醐の悪禅師とも呼ばれ、治承4年(1180)頼朝挙兵後その傘下に加わり、源平の争乱後駿河の阿野荘(沼津市今沢から富士市吉原にかけてを阿野庄といった)を賜って阿野全成と呼ばれるようになる。
    北条時政の娘(阿波局)と結婚し、現在の大泉寺あたりに館を建てその一隅に持仏堂を造り源氏一門の霊を慰めたのが寺の始まりで、最初は真言宗であったという。
  • Pickup

    曽我兄弟が父の仇を討つ相談中、波の音で声がさえぎられたため、神に念じたところ一瞬滝の音が止んだという伝説の滝。

  • 音止の滝

2日目

  • 09横割八幡宮

    富士山西エリア 文化歴史
    静岡県富士市横割2-3-35
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士川の合戦のとき、頼朝が弓矢と馬を奉納し平氏追討の戦勝祈願をして成就したとの伝承から、村では霊験あらたかな神様を祀る神社として篤く信仰されました。
    横割八幡宮
  • 10静岡県富士山世界遺産センター

    富士山西エリア 観光施設
    静岡県富士宮市宮町5番12号
    関連人物
    営業時間 通常 9:00 ~ 17:00
    (7-8月 9:00 ~ 18:00)
    ※最終入館は閉館の30分前
    定休日 毎月第3火曜日、及び施設点検日
    静岡県富士山世界遺産センターは、世界遺産の根拠となる「世界遺産条約(国際条約)」に規定されている、世界遺産を「保護し、保存し、整備し及び将来の世代へ伝えることを確保する」拠点施設であり、学術調査機能などを併せ持つ施設です。
    富士川の合戦のとき、頼朝が弓矢と馬を奉納し平氏追討の戦勝祈願をして成就したとの伝承から、村では霊験あらたかな神様を祀る神社として篤く信仰されました。
  • 11富士山本宮浅間大社

    富士山西エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県富士宮市宮町1-1
    関連人物 源頼朝、北条義時
    営業時間 5:00-20:00(4月~9月)
    5:30-19:30(3月、10月)
    6:00-19:00(11月~2月)
    定休日
    浅間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されるようになりました。
    歴代武将の事跡も多数ありますが、中でも特に篤い崇敬を寄せたのは、源頼朝・北条義時・武田信玄勝頼親子・徳川家康でした。
    源頼朝公は、建久4年(1193)富士山麓において巻狩りを行った際、流鏑馬を奉納したと言われ、富士宮市指定無形民俗文化財「富士山本宮浅間大社流鏑馬」の起源とも言われています。
    北条義時は、社殿の修復などを行いました。
  • 12白糸の滝

    富士山西エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県富士宮市上井出273
    関連人物 源頼朝
    営業時間 24時間(駐車場8:30-16:30)
    定休日
    富士山の雪解け水が、上部の水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。
    ・高さ20m・幅150mの湾曲した絶壁から、大小数百の滝が流れ落ちおり、その姿は白糸の名にふさわしく、幾筋もの絹糸をさらしているよう。国の名勝及び天然記念物に指定されている。(平成2年日本の滝百選に選定)
    ・富士の巻狩りの際に白糸の滝に立ち寄った源頼朝は「この上にいかなる姫やおはすらんおだまき流す白糸の滝」と歌っています。
  • 13曽我八幡宮

    富士山西エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県富士市厚原895番地の1
    関連人物 曽我十郎祐成、曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    この神社には、応神天皇と曽我兄弟が祀られています。
    神社が所蔵している「曽我八幡宮略縁起」には、建久8年(1197)、曽我兄弟の親の仇討ちの意志に感心した源頼朝が家臣の岡部泰綱に命じて建てたといわれています。
    天文年間(1532~1555)に武田、今川、北条の三氏の戦場になったため神社は焼けてしまいました。江戸時代になり、慶長14年(1609)に、関東代官の伊奈備前守忠次が検地のため、この地に来た時に、神社は再建されたとされています。その後、天保2年(1831)雨宮守弘が社殿を現在地に移しました。
    この神社には、奉納された曽我兄弟の絵馬や「曽我八幡宮略縁起」の版木が残されています。(現在は富士山かぐや姫ミュージアムに寄託)
    また、雁をみて父を思う幼い兄弟像が境内にあります。
    曽我八幡宮
  • 14頼朝井戸の森

    富士山東エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県御殿場市須山2255-26
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士の巻狩りを富士山麓で行った際、頼朝がのどを潤すために杯で飲んだ湧き水だと伝えられてきたことから、その水源を包む荘厳な森を「頼朝井戸の森」と呼ぶようになりました。

    ▼頼朝の井戸 看板より
    建久4年(1193)、将軍源頼朝公は、武威を天下に誇示し、且亦将兵の士気をも鼓舞せんものと、駿河国藍沢(御殿場地方)から富士野(上井出地方)に亘る広大な富士山の裾野で大規模な巻狩を催した。
    頼朝井戸の森
  • 15足柄峠

    富士山東エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県駿東郡小山町竹之下
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    海抜759mにあるこの峠は、古くから足柄路として知られ、東国と西国を結ぶ重要な路としてにぎわったところです。
    峠には、足柄聖天堂や、新羅三郎義光吹笙の石、足柄の関所跡、足柄城址などがあり、風光明媚な観光名所です。
    現在では、ドライブコースやハイキングコースの中継地として、四季を通して多くの観光客が訪れます。
    鎌倉時代に入ると、足柄峠や籠坂峠は多くの人たちが行き来し、新たに宿が設置された竹之下には将軍源頼朝、そして日蓮などが宿泊したと言われています。
  • Pickup

    富士市田子の浦漁協の自慢の生しらす。鮮度抜群の甘くてぷりぷりのしらすをご賞味ください。

  • 生しらす丼/富士市
  • Pickup

    B-1グランプリ2006年、2007年、ゴールドグランプリ受賞。富士宮で昔から親しまれている食文化です。

  • 富士宮やきそば/富士宮市

1日目

  • 01鮎壺の滝

    富士山東エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県駿東郡長泉町下土狩1052-4
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    沼津市と長泉町を隔てる狩野川水系の一級河川黄瀬川の中流にある鮎壺の滝は、黄瀬川の流れによって溶岩流の下にあった柔らかい土壌が先に侵食され、残された固い溶岩流により形成された高さ約10m、幅約90mの滝です。平成8年(1996)に県の天然記念物に指定されたほか、伊豆半島ジオパークのジオサイトの1つでもあります。「ぬまづの宝100」にも選ばれました。
    「鮎壺」という地名は、ここで鮎が止められ滝壺に群れていたことに由来すると言われており、滝壺が藍のように青いので「藍壺の滝」、滝壺から富士山が見えるので「富士見の滝」とも呼ばれたそうです。 【亀鶴の伝説】 その昔、黄瀬川の里に小野政氏という長者がおりました。子供がないため里の観世音に夫婦で祈願をしたところ、霊験あらたかに婦人は懐胎し、玉のような女児をもうけ、鶴や亀のような長寿をと願い、亀鶴と名付けました。生まれつき容姿明眸に恵まれていましたが、幼くして両親を失い、悲哀の情に堪えず、日夜観音菩薩に詣で、読経や写経にひたすら父母の冥福を祈りましたが、18歳になるころ無常を感じて、この鮎壺の滝に身をに投じました。
    一説には、源頼朝が富士の巻狩の際、亀鶴の美貌を聞き、招こうとしたが、亀鶴は応ぜず身を滝に投じたとも、黄瀬川宿の遊女であった亀鶴が、曾我兄弟の仇討ちの場から逃れて滝に身を投じたともいわれています。
  • 02三嶋大社

    北伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県三島市大宮町2丁目1-5
    関連人物 源頼朝、北条政子、安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。
    平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。
    宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。
    また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 03伊豆の国大河ドラマ館

    中伊豆エリア 観光施設
    静岡県伊豆の国市四日町772
    関連人物 北条義時
    営業時間 9:00 〜 17:00
    定休日 水曜日(祝日の場合は翌日以降の平日)
    ※令和4年1月および2月は休まず開館
    ※令和4年4月29日〜5月8日の間は開館
    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送にあたり、設置された大河ドラマ館。
    ここでは、市内ロケを中心としたメイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介パネル等の展示を行っており、大河ドラマの世界観を存分に体験できる施設となっています。
  • 04蛭ケ島

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆の国市四日町12
    関連人物 源頼朝、北条政子
    営業時間
    定休日
    平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ヶ島に配流されました。
    永暦元年(1160)2月の14歳から、治承4年(1180)8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたといわれています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったといわれており、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三嶋の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。当時の蛭ヶ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(田島)であったと考えられます。
    江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
    周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士に向って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
  • 05願成就院

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆の国市寺家83-1
    関連人物 北条時政、北条義時、北条泰時
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 火曜日、水曜日
    創建は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)。
    源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、北条時政が建立しました。
    歴史書「吾妻鏡」には、時政が建立してから三代執権北条泰時の頃までの様子が記されています。
    時政が建立した大御堂と南塔、二代執権北条義時が亡父時政公供養として建立した南新御堂、三代執権北条泰時による北條御堂と北塔の建立など、堂塔伽藍の営作は北条氏三代にわたります。
    そして、承久2年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする旨が朝廷よりくだされ、この地に「浄土様式」の壮大な寺院が北条氏の寺として造営されました。昭和48年(1973)に、境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として国指定史跡になっています。
  • 06北條寺

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆の国市南江間862-1
    関連人物 北条義時、北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    北條寺は、北条義時が創建した寺です。
    義時の嫡子が大蛇に襲われ命を失った時、七堂伽藍を建立し、仏殿の阿弥陀如来坐像(静岡県指定文化財)を運慶に命じ作らせたと伝えられています。また、本尊の木造観音菩薩坐像(静岡県指定文化財)は、中国宋風の仏像であり、南北朝期の作とされている。
    寺宝は、寺宝の牡丹鳥獣文繍帳(県指定文化財)は、北条政子が奉納したと伝わるものです。境内には、北条義時の墓(伊豆の国市指定文化財)があります。
  • 07修禅寺

    中伊豆エリア 文化歴史
    静岡県伊豆市修善寺964
    関連人物 源頼家、源範頼
    営業時間
    定休日
    修禅寺(曹洞宗)は、「修善寺」という地名の基となった寺で、正式呼称は「福地山修禅萬安禅寺」(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)と言います。
    大同2年(807)、弘法大師の高弟杲隣により創建され、鎌倉時代には建長寺開山の蘭渓道隆により臨済宗となり、室町時代には曹洞宗として再興され現在に至っています。
    源頼朝の弟、源範頼と2代将軍源頼家が幽閉され、殺害された寺とされ、現在のご本尊である木造大日如来坐像はその頃に仏師実慶により造られたもので国の重要文化財です。また宝物殿には、源氏に関する寺宝が納められ、頼家の面といわれるものや、肖像画のほか、頼朝と主従関係にあった加藤景廉の孫にあたる善願上人の蔵骨器(県有形文化財)、神獣鏡(市有形文化財)密教法具一式(市有形文化財)、徳川家康壺型黒印状(市有形文化財)なども見ることができます。
  • 08指月殿

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆市修善寺935
    関連人物 源頼家、北条政子
    営業時間
    定休日
    桂川を挟んで修禅寺と相対する鹿山の麓にあります。修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進したといわれる経堂です(現在の建物は江戸時代に再建されたものです(市有形文化財))。
    この時寄進された宋版大蔵経のうち巻第二十三、釈迦三尊繍仏は、県有形文化財に指定されており、北条政子直筆といわれる書き込みもあります。なお、 門前の虎渓橋も架け替えたといわれています。
    堂内中央に安置されている仏像は、右手に蓮華を持ち、拈華微笑の故事に基づく禅宋式の木造釈迦如来坐像で、県有形文化財です。 堂に向かって左手に頼家の墓があります。
  • 09筥湯

    中伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊豆市修善寺925
    関連人物 源頼家、北条時政
    営業時間 12:00~21:00(最終受付20:30)
    定休日
    筥湯は、鎌倉2代将軍源頼家が入浴したという伝説の名湯。
    源頼家は、入浴中に北条時政の家来により襲われて亡くなったと言われていますが、その襲われた温泉がこの筥湯だと言われています。

    修善寺にかって7つの外湯があり、現在まで残ったのは「独鈷の湯」のみで、平成12年に筥湯がオープン、外湯が復活しました。
  • Pickup

    伊豆最大のいちごテーマパーク、江間いちご狩りセンターでは、例年12月中旬〜翌年の5月上旬頃にいちご狩りができます。

  • 江間いちご
  • Pickup

    修善寺温泉街を流れる桂川沿いにある竹林の中の散策道。

  • 竹林の小怪

2日目

  • 10三四郎島・瀬浜

    南伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県賀茂郡西伊豆町仁科
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    源氏再興の昔、”伊豆の三四郎”と呼ばれる若武者が、中の島にきびしい平家の追求の目を逃れて隠れ住んでいたと伝えられています。
    治承4年(1180)、源氏の白旗は伊豆の空にひるがえり、頼朝の急使は仁科の豪族瀬尾行信のもとに走ります。
    三四郎に恋心を抱いている行信の一人娘小雪は、出陣の書状を抱きしめ、三四郎のもとに急ぎました。
    しかし、上げ潮の怒濤は凄まじく、小雪はついに波間にその姿を没してしまったと言われています。
  • 11文覚山円通寺

    南伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県賀茂郡松崎町宮内130
    関連人物 文覚上人、源頼朝
    営業時間
    定休日
    (伝承記)その昔、妙智山・円通寺と称して、観音菩薩(弘法大師の作と伝えられる)を祀る、真言宗の小さな庵が宮内村にあったという。 貞治元年(1362)、鎌倉建長寺より東林友丘を請じ、船田帰一寺末として臨済宗に改宗、堂宇を那賀川沿い(伊那上神社前)に建立した。したがって東林友丘が開山となっている。 その後、安土桃山時代の終わりにかけた230年余りは、寺の衰微期間か、寺歴は全く不明である。慶長の頃、二世欽堂(慶長16年示寂)が出て衰微していた寺を再興している。 江戸時代三世遼天の代の慶安2年(1649)には、3代将軍家光より寺領12石の朱印状を受けた。 源頼朝と文覚上人の座像がある。
  • 12鯉名湊

    南伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県賀茂郡南伊豆町手石
    関連人物 伊東祐親
    営業時間
    定休日
    伊東祐親が富士川の戦いで平家に加わろうとして捕えられた港と言われています。

    小稲は昔は鯉名と書いたと言われているが、青野川下流に鯉名湊があったと言われている。昔、鯉名湾に居た一族は、 湾の沖積により正善寺を残し、現在の小稲へ集団移住しました。
    源平の戦いの中では局地戦に過ぎないが、 南伊豆の地が戦場となった唯一の例として「鯉名の合戦」がある。 石橋山の戦いに敗れ、安房国に逃れた頼朝は態勢を立て直し、 治承4年(1180)関東の武士団を率いて、沼津黄瀬川に軍を進めました。
    この時、伊豆の平氏勢力の伊東祐親が鯉名湊に船を集め、 海上より平氏軍に合流しようとし、 これを察知した頼朝は、天野遠景を派遣して鯉名に攻めて伊東氏を生け捕りにしました。
    鯉名湊
  • 13田牛八幡神社

    南伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県下田市田牛334
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    寛政12年(1800年)に刻まれた、「遠国嶋記」という源頼朝が遠国島に訪れていたことを記す銅板が保存されている。
    田牛八幡神社
  • 14上原美術館

    南伊豆エリア 観光施設
    静岡県下田市宇土金341
    関連人物
    営業時間
    定休日
    仏教館は、大正製薬名誉会長を務めた上原正吉(1897―1983年)・小枝(1909―1996年)夫妻が収蔵した多くの近現代の仏像の寄付を受けて1983年に開館しました。
    その後もコレクションの幅を広げて、十一面観世音菩薩立像をはじめとする平安・鎌倉時代の仏像のほか、中阿含経、中尊寺経といった古写経を収蔵しております。
    また、伊豆の仏教文化の継続的な調査を行い、それにもとづく企画展を毎年開催しております。
  • Pickup

    伊豆地域には多くの港があり、そこで水揚げされた新鮮な意味の幸を味わえるお店がたくさんあります。お越しの際は、自慢の海の幸を存分にご堪能ください。

  • 海鮮/伊豆地域

3日目

  • 15河津八幡神社

    南伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県賀茂郡河津町谷津375
    関連人物 曽我十郎祐成、曽我五郎時政
    営業時間 9:00~17:00
    定休日
    この地は河津三郎祐泰の館跡と言われています。
    河津の地を領した河津三郎祐泰とその子曽我十郎祐成、五郎時致の霊を八幡神社に合祀しています。

    鳥居脇には剛力で知られた祐泰が鍛錬に使った手玉石が残っています。
    河津八幡神社
  • 16稲取八幡神社

    南伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県賀茂郡東伊豆町稲取1183-1
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    稲取の総鎮守社として稲取の人々から崇敬されている神社であり、平安時代末より源氏との縁が深く、境内の井戸は源頼朝が参拝のときにこの井戸で身を清めたと伝えられています。また頼朝が守り本尊にしたと伝えられる仏像を奉祀しています。
    稲取は江戸時代初めに江戸城修築の石(築城石)を運んでいますが、境内の「日露戦役忠魂碑」の土台の石はこの築城石のひとつです。
  • 17音無神社

    東伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊東市音無町1-13
    関連人物 源頼朝、八重姫
    営業時間
    定休日
    平治の乱後、伊豆国の蛭ヶ島に流された源頼朝は、一時、伊東の北の小御所で暮らしていたといいます。
    その時に出逢ったのが伊東祐親の娘八重姫。愛し合う二人が密かに会っていた場所がこの神社のある「おとなしの森」だったと伝えられ、対岸の「ひぐらしの森」は、頼朝が八重姫に会うため日暮れを待った所といわれています。
    やがて二人の間には男子が生まれ、千鶴丸と名付けられたが、伊東祐親の怒りに触れて殺され、二人の仲も引き裂かれたと伝承されています。
    音無神社
  • 18伝伊東祐親の墓所

    東伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県伊東市大原町1丁目11
    関連人物 伊東祐親
    営業時間
    定休日
    伊東家は、藤原家を祖先とする一族で、伊東祐親が活躍した平安時代後期には、伊東のみならず、河津町や伊豆市の一部を所領していました。
    祐親は、同族である工藤祐経との世襲のもつれから、赤沢の椎ノ木三本付近で、嫡男河津三郎祐泰が討たれており、このことが「曽我兄弟の仇討ち」につながっていきました。
    また、伊豆に流された源頼朝を丁重に預かっていましたが、娘八重姫との間に出来た千鶴丸に対し、苦渋の決断をしいられたと言われています。
    源平合戦では、頼朝から勢力を増す源氏側に着くことを打診されましたが、平氏への忠義をつくし、自刃したと言われています。
  • 19走り湯

    東伊豆エリア スタンプラリー対象 観光施設
    静岡県熱海市伊豆山594
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    相模の海に臨む「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式源泉で、日本三大古泉の一つです。・今から約1300年以上前に発見され、山中から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から 「走り湯」と名付けられました。・「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。・奥行5mの洞窟から今も70度の湯が毎分170リットル湧き出ており、源泉は神秘的な光景が広がります。
  • 20伊豆山神社

    東伊豆エリア スタンプラリー対象 音声スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県熱海市伊豆山708-1
    関連人物 源頼朝、北条政子、源実朝
    営業時間
    定休日
    伊豆山神社は、走湯権現とも呼ばれ、親しまれてきた強運守護、福徳和合、縁結びの神様。 平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士山の一帯は、平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに深い信仰を寄せ、伊豆山神社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る歴史の舞台になりました。
    鎌倉将軍の二所詣の聖地となった伊豆山神社は、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬しました。源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金塊和歌集』に収められています。
  • 21MOA美術館

    東伊豆エリア 観光施設
    静岡県熱海市桃山町26-2
    関連人物
    営業時間 9:30~16:30(最終入館16:00)
    定休日 木曜(祝日の場合は開館)
    東洋美術の絵画・書跡・工芸を中心に国宝3点、重要文化財66点を含む約3500点の収蔵品を誇る熱海を代表する美術館。尾形光琳の最高傑作とされる国宝「紅白梅図屏風」(※期間限定公開)は特に名高い作品で、毎年2月の梅の季節に合わせた公開を待つファンも大勢います。
  • 22十国峠(源実朝の歌碑)

    東伊豆エリア スタンプラリー対象 文化歴史
    静岡県熱海市伊豆山
    関連人物 源実朝
    営業時間 8:50~16:50
    定休日
    十国峠は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国を見渡せることからその名が名付けられました。 峠の最高部には、源実朝が箱根権現・伊豆山権現・三嶋大社を参拝する「二所詣」の際に詠んだ歌の歌碑が建てられています。 「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 この歌は実朝が22歳のときのものと言われており、沖の小島とは初島のことだろうと考えられています。『吾妻鏡』によれば、実朝22歳の建保2年(1214)は、正月と9月の2回伊豆山・箱根権現の二所詣が行われているとされている。