STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 日枝神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ヒエジンジャ)
    ▼日枝神社 HPより
    この地域は平安時代大岡庄と称され、関白藤原師通の領地でした。
    嘉保2年(1095)、美濃守源義綱が延暦寺の僧、山王の神主を殺害する事件があり、関白藤原師通は延暦寺の訴えを拒絶した為、僧・神主に呪詛されて山王の祟りを受け38才で死亡しました。
    師通の母は近江国の日吉大社の御神霊を分祀し八町八反の田を寄進して謝罪の礼を表されたのが起源です。時に、第73代 堀河天皇の時代、永長元年(1096)のことです。
    神社に伝わる大釜は、源頼朝に縁のもので、建久4年(1193)の富士の巻狩りの際、炊飯用に使用されたものだといわれています。
  • 今宮神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イマミヤジンジャ)
    熱海の西部地区にある今宮神社は、古くより心願成就の宮として崇敬を集めてきました。御祭神は、事代主神と大国主神。創立は大変古く、今から1700年以上も前、仁徳天皇の御世と伝えられています。 源頼朝が伊豆に流されていた頃、熱海の山中に迷い込んだ際に大楠の下にあった社に祈り、無事に追手から逃れることができたことから、その後、殿を造営するなど心を尽くしたと伝わっています。
    毎年10/19・20には、例大祭を開催しています。
  • 堀藤次親家館跡
    堀藤次親家館跡
    関連人物 堀親家
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ホリノトウジチカイエヤカタアト)
    堀親家は、源頼朝が伊豆国の流人だった頃から頼朝に仕えていた武将です。 治承4年(1180)8月17日の頼朝の挙兵に参じ、山木館襲撃で活躍しました。相模国進軍後の石橋山の戦いでは、大敗して椙山に逃れた頼朝を守るため、佐々木高綱・加藤景廉・天野遠景らとともに奮戦したと言われています。
  • 十国峠(源実朝の歌碑)
    関連人物 源実朝
    営業時間 8:50~16:50
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジュッコクトウゲ(ミナモトノサネトモノカヒ))
    十国峠は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国を見渡せることからその名が名付けられました。 峠の最高部には、源実朝が箱根権現・伊豆山権現・三嶋大社を参拝する「二所詣」の際に詠んだ歌の歌碑が建てられています。 「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 この歌は実朝が22歳のときのものと言われており、沖の小島とは初島のことだろうと考えられています。『吾妻鏡』によれば、実朝22歳の建保2年(1214)は、正月と9月の2回伊豆山・箱根権現の二所詣が行われているとされている。
  • 守山八幡宮
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (モリヤマハチマングウ)
    願成就院の後方にある神社。治承4年(1180)に源頼朝が挙兵した地であり、源頼朝ゆかりの神社です。 境内の石碑には、「史蹟 源頼朝挙兵之碑」と題した石碑があり、次のように刻まれています。 「源頼朝 治承四年八月十五日守山八 幡宮に平家追討を祈願して挙兵 夜陰 源氏重恩の軍 兵数十騎 山木判官平兼隆を襲い討つ 其の間 頼朝  遥かに山木館の火煙を望み 悲願の達成を悦ぶ 蓋し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると 故に記して 建碑の所以とする」 現在の本殿は慶長2年(1597)韮山城主内藤信成の造営です。
  • 日吉神社
    日吉神社
    関連人物 源頼朝,鮫島四郎
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヒヨシジンジャ)
    富士郡鮫島村出身の鮫島四郎宗家の氏神です。
    宗家は頼朝が韮山で平氏追討の旗揚げをしたときから頼朝に仕えた武士で、富士川の合戦では道先案内をつとめたと考えられています。
  • 虎御前の腰掛石
    関連人物 源頼朝,曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (トラゴゼンノコシカケイシ)
    曽我兄弟が仇討ちのために旅立った後、虎御前は兄弟の安否を心配して後を追った。虎御前がこの地に差し掛かった時に兄弟の絶命を知り、その場で泣き崩れて岩に腰掛けたという。その石が、虎御前の腰掛石として知られている。
  • 北條寺
    関連人物 北条義時,北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ホウジョウジ)
    北條寺は、北条義時が創建した寺です。
    義時の嫡子が大蛇に襲われ命を失った時、七堂伽藍を建立し、仏殿の阿弥陀如来坐像(静岡県指定文化財)を運慶に命じ作らせたと伝えられています。また、本尊の木造観音菩薩坐像(静岡県指定文化財)は、中国宋風の仏像であり、南北朝期の作とされている。
    寺宝は、寺宝の牡丹鳥獣文繍帳(県指定文化財)は、北条政子が奉納したと伝わるものです。境内には、北条義時の墓(伊豆の国市指定文化財)があります。
  • 香山寺
    関連人物 山木兼隆
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (コウザンジ)
    香山寺(臨済宗)は、源頼朝が源氏再興の挙兵をした際に、最初に標的とされた平氏の目代であった山木(八巻)兼隆が建立した寺。
    その後、鎌倉の報国寺開山の天岸慧広が足利家時を開基として開き、北条早雲が中興しました。
    早雲は、京都大徳寺八十三世となった以天宗清(いてんそうせい)を住まわせ、子の氏綱は箱根湯本の早雲寺の開山に迎えたといわれています。
  • 伊那上神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イナカミジンジャ)
    式内社で、創建は不詳とされているが、平安時代初期、弘仁2年(811)伊予国(愛媛県)越智郡三島より遷祀したといい、また一説に弘仁8年(817)国府三島より遷祀したとも伝えられています。 社名については文治元年(1185)文書に、伊豆国那賀郡三島宮、慶長5年彦坂九兵衛の神領付には「松崎上宮神領分」とあり、正徳2年(1712)の棟札に伊那上宮とある。寛政7年(1795)円通寺との山論(山林の境界の争い)の評定所裁決書には三嶋大明神とあります。 神職金指(差)氏は、豆州志稿によると伊予国河野氏の後裔で三島明神と共に当地に来たといわれています。 日本書紀の応神天皇の巻に、新羅王が造船の匠を日本に送ったことが記されており、古い伝えでは、当地にも帰化したこの猪名部が集落を営み、産土神として、伊那上、下社を祀ったという帰化人奉祀説があり、那賀川の上、下により区別され、伊那上は三島神社の系統へ移っていったと思われます。 平安時代、延喜7年(907)式内社に列し、伊那下神社とは相対的に存在した社であった。鎌倉時代、「承安3年(1173)源頼朝公参詣三島明神」と金指家過去帳にあり、のち頼朝より、社田寄進を受け、社殿宏壮で末社80有余、伊豆西海岸第一の宮であったといい、 本殿内の神像6躰(町指定文化財)は、鎌倉前期の作で、同中期の神鏡「松喰双鶴鏡」、「釣燈籠」は県文化財に指定されています。
  • 秋戸郷跡
    秋戸郷跡
    関連人物 北条政子,源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (アキトノゴウアト)
    ▼秋戸郷 看板より
    この地は、北条政子が平氏の手より隠れ逃れた場所で、秋戸郷と言われている。 治承4年(1180)8月23日、源頼朝は石橋山合戦に挙兵しましたが、戦に敗れて安房に逃れました。 この間政子は、走湯山に身をひそめて頼朝の安否を気づかっていました。9月2日、政子は、伊豆山権現の別当文陽房覚淵:かくえん:の計らいで密かに熱海の秋戸郷(阿伎戸郷とも書く)に移されました。秋戸郷は足川を南の境とする走湯山:そうとうさん:の神域東南隅にあり、浜の方からしか入れないうえ、船着場も近く、神威を後ろ楯に覚淵の保護も行き届き、平氏方の捜査をくらませることが出来ました。その日のうちに土肥実平の子・遠平から、頼朝が安房に逃れるまでの経過を知らされたが、頼朝が船に乗ってからの事は分からないので、その夜の秋戸郷には喜びも悲しみも出る道がなかったのでしょう。この年の10月7日頼朝は鎌倉に入り、秋戸郷をたった政子は、12日、頼朝との再会を喜びあったと思われます。
    「吾妻鏡」、「熱海市史」他より
  • 間眠神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (マドロミジンジャ)
    ▼間眠神社縁起 看板より
    韮山蛭ヶ島に流された源頼朝が、治承4年源家再興の大願を立て、三島大明神に100日の丑刻祈願を行なった途上、路傍の祠の松の大樹の下でしばしまどろんだと伝えられている。
    またこの祠は往古大洪水により韮山の長崎より流着した稲荷神社であったと古老の口碑に伝わっている。
    祭神は豊受姫命である。後世、この松を頼朝公間眠の松といい、社を間眠稲荷または間眠宮と呼ぶようになった。
    大七五三縄は毎年長崎から奉納される。
  • 指月殿
    関連人物 源頼家,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (シゲツデン)
    桂川を挟んで修禅寺と相対する鹿山の麓にあります。修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進したといわれる経堂です(現在の建物は江戸時代に再建されたものです(市有形文化財))。
    この時寄進された宋版大蔵経のうち巻第二十三、釈迦三尊繍仏は、県有形文化財に指定されており、北条政子直筆といわれる書き込みもあります。なお、 門前の虎渓橋も架け替えたといわれています。
    堂内中央に安置されている仏像は、右手に蓮華を持ち、拈華微笑の故事に基づく禅宋式の木造釈迦如来坐像で、県有形文化財です。 堂に向かって左手に頼家の墓があります。
  • 和田神社
    和田神社
    関連人物 和田義盛
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ワダジンジャ)
    ▼和田神社 看板より
    治承4年(1180)10月 富士南麓の加島平野で、源平の大合戦が展開されようとした時、源氏の大軍は今泉・原田の高台を中心に依田橋・鈴川・鮫島など当時の富士川東岸一帯に陣を敷いた。
    勢子村(今泉村)付近の守りを頼朝から命じられた和田義盛は東泉院(現日吉浅間神社)付近に本陣をおき、南側を流れる川に逆茂木をしかけて厳重に警備したと伝えられている。
    そのため、のちにその川を和田川と呼び陣を敷いた所を和田城、その付近の土地を「和田」と呼んだ。
    そして土地の人々は和田義盛をこの土地の守護神として神社を建てた。
    和田義盛は鎌倉での北条軍との戦いに敗れる。
    建保元年(1213)5月3日没す。
  • 安達藤九郎盛長の墓
    関連人物 安達盛長
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アダチトウクロウモリナガノハカ)
    安達藤九郎盛長は、源頼朝が伊豆の流人となった頃から側近として仕えていた武将で、頼朝の死後、鎌倉二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり幕政に参画しましたが、翌年66歳で死去しています。
    妻は頼朝の乳母・比丘尼の娘・丹後の局、娘・亀御前は、頼朝の異母弟・源範頼の妻であったため、この地に墓があると言われています。
  • 文覚山円通寺
    関連人物 文覚上人,源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (モンカクサンエンツウジ)
    (伝承記)その昔、妙智山・円通寺と称して、観音菩薩(弘法大師の作と伝えられる)を祀る、真言宗の小さな庵が宮内村にあったという。 貞治元年(1362)、鎌倉建長寺より東林友丘を請じ、船田帰一寺末として臨済宗に改宗、堂宇を那賀川沿い(伊那上神社前)に建立した。したがって東林友丘が開山となっている。 その後、安土桃山時代の終わりにかけた230年余りは、寺の衰微期間か、寺歴は全く不明である。慶長の頃、二世欽堂(慶長16年示寂)が出て衰微していた寺を再興している。 江戸時代三世遼天の代の慶安2年(1649)には、3代将軍家光より寺領12石の朱印状を受けた。 源頼朝と文覚上人の座像がある。
  • 遠国島
    遠国島
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源
    (オンゴクトウ)
    田牛の岳浦というところにある島で、干潮時には歩いて渉ことができる。源頼朝が訪れ遊んでいたといわれ、中央に遠国明神の宮祠がある。
  • 逢初橋
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源
    (アイゾメバシ)
    治承2年(1178)、伊豆国の蛭ヶ島に流されていた源頼朝は、伊豆山密巌院の阿闍梨覚淵の坊にいました。その頼朝を慕って伊豆山へやってきたのが北条政子。政子は父北条時政が決めた伊豆国目代山木兼隆との婚礼の夜に伊豆山へ逃れ、足川の地に隠れたのだといい、その知らせを受けた頼朝と政子が劇的な対面をしたのがこの逢初橋だったと伝えられています。
    ※江戸時代以前は、別の場所にありました。
  • 三嶋大社
    関連人物 源頼朝,北条政子,安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ミシマタイシャ)
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。 平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。 また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 高源寺
    高源寺
    関連人物 源頼朝,比企尼,丹後の局
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (コウゲンジ)
    源頼朝が石橋山の戦いに挑む際の旗揚げの地とされており、源頼朝が源氏再興の密議をしたと伝えられています。

    ▼比企尼の供養塔 看板より
    源頼朝が伊豆に流されたとき、頼家の乳母である比企尼も現在の函南町大竹に住み、頼朝公を守られました。
    敷地内にはその比企尼のものと伝わる供養塔があります。
  • 稲取港
    関連人物 源頼朝
    営業時間 8:30~15:00
    定休日 第2火曜日 12月31日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イナトリコウ)
    源頼朝は、蛭ヶ島(現伊豆の国市)に流されたおり、伊東・川津といった伊豆の豪族と親交を結び、稲取の八幡神社にも参拝したと伝えられています。 頼朝が建久3年(1192)に鎌倉幕府を開くと、東伊豆と鎌倉の往来も盛んになり陸上交通が発展しました。 同時に稲取港をはじめ伊豆の港も海上交通の発達とともに中継点として栄え、南北朝・室町時代には、紀州から来た鈴木一族によって管理されるようになりました。
    江戸時代初めには、江戸城修築の石(築城石)を運び出す港として栄え、港に面する栗田家には土佐藩2代藩主の山内忠義の時に切り出された2つの築城石があります。また、港に面した遺跡は舫石や東区道祖神石像があり、いずれも町指定文化財となっています。