STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 藤原光親の墓
    藤原光親の墓
    関連人物 藤原光親
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (フジワラノミツチカノハカ)
    承久の変(承久3年(1231))のとき、後鳥羽上皇が北条氏の討伐の企てに際し、藤原光親卿は極力時期尚早を上奏しましたが聞き入れられず、義時追討の案文を書きました。
    謀議はいち早く鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、甲斐武田五郎信光により、鎌倉護送の途中の篭坂峠において斬首されました。
    毎年5月に地元の人々により、慰霊祭がとり行われています。
  • 稲取八幡神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イナトリハチマンジンジャ)
    稲取の総鎮守社として稲取の人々から崇敬されている神社であり、平安時代末より源氏との縁が深く、境内の井戸は源頼朝が参拝のときにこの井戸で身を清めたと伝えられています。また頼朝が守り本尊にしたと伝えられる仏像を奉祀しています。
    稲取は江戸時代初めに江戸城修築の石(築城石)を運んでいますが、境内の「日露戦役忠魂碑」の土台の石はこの築城石のひとつです。
  • 御崎神社
    御崎神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ミサキジンジャ)
    ▼御崎神社 看板より
    当社を見志岐里明神と呼んでいたことからも推察されますように、大変見晴らしのよい高台にあったので、富士川の源平合戦の時には源氏方の陣屋となり、東比奈の諏訪神社と共に、頼朝公より幣帛を賜ったという伝承もありますので、当社の創建年代は、少なくとも合戦の行われた治承四年以前であろうと述べられています。

    源氏軍が陣を置いたとされている。かつては物見の松という老木もありました。
  • 成福寺
    関連人物 北条時政,北条義時,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジョウフクジ)
    浄土真宗大谷派の成福寺は、北条正宗入道によって正応2年(1289)に建立されました。北条正宗は、鎌倉幕府8代執権北条時宗の三男とされています。
    正宗は北条氏一族の菩提を弔うため、曾祖父・北条時政の持仏堂を基にこの地に一宇を開創し、正宗の長子・宗仁がこれを修造して成福寺としたと伝えられています。本堂北側には北条氏一族の供養塔があります。 現在は蓮の名所として知られています。境内には、約230種 250鉢もの花蓮が栽培されていて、毎年6月中旬から8月初旬には見事に咲き揃います。中には2000年前の種から発芽した花や、栽培が難しいとされる黄色い花蓮などもあります。
  • 伝阿野全成・阿野時元の墓(大泉寺内)
    関連人物 阿野全成,阿野時元
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (デンアノゼンジョウ・アノトキモトノハカ(ダイセンジナイ))
    大泉寺の境内には源頼朝の異母弟阿野全成と、その子、時元のものと伝わる墓石があります。
    時元の母は北条義時と政子の妹にあたる阿波局といわれています。

    ▼伝阿野全成・時元墓 看板より
    阿野全成は、幼名は今若丸といい清和源氏の嫡男源義朝の七男です。鎌倉幕府を開いた頼朝の異母弟、義経の同母兄にあたり、母は有名な常磐御前です。
    頼朝の死後、建仁3年(1203)5月、全成は阿野庄において兵を挙げましたが、幕府軍に捕らえられ常陸国へ配流となり、同年6月23日、下野国で処刑されました。首は阿野庄の全成館へ届けられたと伝えられています。
    その後、全成の遺児時元も承久元年(1219)2月11日、反北条の兵を挙げましたが、執権北条義時はただちに兵を差し向け、交戦10日の後に阿野一族は敗北して、時元も自刃しました。
  • 陣馬の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジンバノタキ)
    ▼富士宮歩く博物館 看板より
    「鎌倉時代の初め、建久4年(1193)のこと、富士山の麓で巻狩を催した源頼朝が、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いた。それから後、その滝を陣馬の滝というようになったと伝えられている。」
  • 三嶋大社
    関連人物 源頼朝,北条政子,安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ミシマタイシャ)
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。 平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。 また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 五郎の首洗い井戸
    五郎の首洗い井戸
    関連人物 源頼朝,工藤祐経,曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ゴロウノクビアライイド)
    仇討ちの後、捉えられ、鎌倉へ連行されることとなった曽我五郎時致は、現在の鷹岡の地で首をはねられたという。
    この井戸は、五郎時致の首を洗ったとされ、その時、井戸の水が赤く染まったという。現在井戸は無く、碑のみ置かれている。
  • 日吉神社
    日吉神社
    関連人物 源頼朝,鮫島四郎
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヒヨシジンジャ)
    富士郡鮫島村出身の鮫島四郎宗家の氏神です。
    宗家は頼朝が韮山で平氏追討の旗揚げをしたときから頼朝に仕えた武士で、富士川の合戦では道先案内をつとめたと考えられています。
  • 富士山本宮浅間大社
    関連人物 源頼朝,北条義時
    営業時間 5:00-20:00(4月~9月)、5:30-19:30(3月、10月)
    6:00-19:00(11月~2月)
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (フジサンホングウセンゲンタイシャ)
    浅間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されるようになりました。
    歴代武将の事跡も多数ありますが、中でも特に篤い崇敬を寄せたのは、源頼朝・北条義時・武田信玄勝頼親子・徳川家康でした。
    源頼朝公は、建久4年(1193)富士山麓において巻狩りを行った際、流鏑馬を奉納したと言われ、富士宮市指定無形民俗文化財「富士山本宮浅間大社流鏑馬」の起源とも言われています。北条義時は、社殿の修復などを行いました。
  • 河津八幡神社
    河津八幡神社
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時政
    営業時間 9:00~17:00
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (カワヅハチマンジンジャ)
    この地は河津三郎祐泰の館跡と言われています。
    河津の地を領した河津三郎祐泰とその子曽我十郎祐成、五郎時致の霊を八幡神社に合祀しています。

    鳥居脇には剛力で知られた祐泰が鍛錬に使った手玉石が残っています。
  • 源頼家の墓・源頼家公廟道(源氏公園内)
    関連人物 源頼家
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミナモトノヨリイエノハカ・ミナモトノヨリエコウビョウドウ(ゲンジコウエンナイ))
    修禅寺と対面する鹿山(しかやま)のふもと源氏公園内の指月殿隣にあります。
    正面に立っている石柱は元禄16年(1703)頼家500回忌の際に、時の修禅寺住職が建てた記念碑。
    本当の墓は記念碑の奥にある小さなもので、三基あるうち真ん中が頼家、両側が側室の若狭の局(わかさのつぼね)とその子一幡(いちまん)のものといわれています。
  • 三四郎島・瀬浜
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (サンシロウジマ・セハマ)
    源氏再興の昔、”伊豆の三四郎”と呼ばれる若武者が、中の島にきびしい平家の追求の目を逃れて隠れ住んでいたと伝えられています。
    治承4年(1180)、源氏の白旗は伊豆の空にひるがえり、頼朝の急使は仁科の豪族瀬尾行信のもとに走ります。
    三四郎に恋心を抱いている行信の一人娘小雪は、出陣の書状を抱きしめ、三四郎のもとに急ぎました。
    しかし、上げ潮の怒濤は凄まじく、小雪はついに波間にその姿を没してしまったと言われています。
  • 音無神社
    音無神社
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (オトナシジンジャ)
    平治の乱後、伊豆国の蛭ヶ島に流された源頼朝は、一時、伊東の北の小御所で暮らしていたといいます。
    その時に出逢ったのが伊東祐親の娘八重姫。愛し合う二人が密かに会っていた場所がこの神社のある「おとなしの森」だったと伝えられ、対岸の「ひぐらしの森」は、頼朝が八重姫に会うため日暮れを待った所といわれています。
    やがて二人の間には男子が生まれ、千鶴丸と名付けられたが、伊東祐親の怒りに触れて殺され、二人の仲も引き裂かれたと伝承されています。
  • 竃地名由来碑(諏訪神社)
    竃地名由来碑(諏訪神社)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (カマドチメイユライヒ(スワジンジャ))
    建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩りをした際に、この地にカマドを築いたのが地名の由来と言われており、夫婦石と呼ばれる一対の巨石が、この石が富士の巻き狩りでカマドとして使われたと伝わります。

    ※夫婦石やその説明の碑は別の場所にあり、神社では見ることができません。
  • 和田神社
    和田神社
    関連人物 和田義盛
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ワダジンジャ)
    ▼和田神社 看板より
    治承4年(1180)10月 富士南麓の加島平野で、源平の大合戦が展開されようとした時、源氏の大軍は今泉・原田の高台を中心に依田橋・鈴川・鮫島など当時の富士川東岸一帯に陣を敷いた。
    勢子村(今泉村)付近の守りを頼朝から命じられた和田義盛は東泉院(現日吉浅間神社)付近に本陣をおき、南側を流れる川に逆茂木をしかけて厳重に警備したと伝えられている。
    そのため、のちにその川を和田川と呼び陣を敷いた所を和田城、その付近の土地を「和田」と呼んだ。
    そして土地の人々は和田義盛をこの土地の守護神として神社を建てた。
    和田義盛は鎌倉での北条軍との戦いに敗れる。
    建保元年(1213)5月3日没す。
  • 六萬部寺
    六萬部寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ロクマンベジ)
    平治の乱後、伊豆国流罪となった源頼朝は、配流地の蛭ヶ島で父義朝の菩提を弔いながら過ごしていたといいます。

    六萬部寺の経塚は、頼朝が、父祖の冥福と源氏の再興を祈念し、法華経六萬部を埋納したと場所と伝えられており、経塚はもとは円墳だったものを利用したものだといいます。
  • 間眠神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (マドロミジンジャ)
    ▼間眠神社縁起 看板より
    韮山蛭ヶ島に流された源頼朝が、治承4年源家再興の大願を立て、三島大明神に100日の丑刻祈願を行なった途上、路傍の祠の松の大樹の下でしばしまどろんだと伝えられている。
    またこの祠は往古大洪水により韮山の長崎より流着した稲荷神社であったと古老の口碑に伝わっている。
    祭神は豊受姫命である。後世、この松を頼朝公間眠の松といい、社を間眠稲荷または間眠宮と呼ぶようになった。
    大七五三縄は毎年長崎から奉納される。
  • 白糸の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間 24時間(駐車場8:30-16:30)
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (シライトノタキ)
    富士山の雪解け水が、上部の水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。 高さ20m・幅150mの湾曲した絶壁から、大小数百の滝が流れ落ちおり、その姿は白糸の名にふさわしく、幾筋もの絹糸をさらしているよう。国の名勝及び天然記念物に指定されている。(平成2年日本の滝百選に選定) 富士の巻狩りの際に白糸の滝に立ち寄った源頼朝は「この上にいかなる姫やおはすらん おだまき流す白糸の滝」と歌っています。
  • 稲取港
    関連人物 源頼朝
    営業時間 8:30~15:00
    定休日 第2火曜日 12月31日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (イナトリコウ)
    源頼朝は、蛭ヶ島(現伊豆の国市)に流されたおり、伊東・川津といった伊豆の豪族と親交を結び、稲取の八幡神社にも参拝したと伝えられています。 頼朝が建久3年(1192)に鎌倉幕府を開くと、東伊豆と鎌倉の往来も盛んになり陸上交通が発展しました。 同時に稲取港をはじめ伊豆の港も海上交通の発達とともに中継点として栄え、南北朝・室町時代には、紀州から来た鈴木一族によって管理されるようになりました。
    江戸時代初めには、江戸城修築の石(築城石)を運び出す港として栄え、港に面する栗田家には土佐藩2代藩主の山内忠義の時に切り出された2つの築城石があります。また、港に面した遺跡は舫石や東区道祖神石像があり、いずれも町指定文化財となっています。
  • 史跡天野遠景供養塔
    史跡天野遠景供養塔
    関連人物 天野遠景
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (シセキアマノトオカゲクヨウトウ)
    天野遠景は、治承4年(1180)に伊豆国に流されていた源頼朝の挙兵に当初から参陣しています。石橋山の戦いで頼朝は大敗してしまいますが、椙山に逃れた頼朝を守るため、加藤景廉・佐々木高綱・堀親家らとともに奮戦したと言われています。
    富士川の戦いでは、頼朝の挙兵に敵対した伊東祐親を捕縛しました。平家追討では源範頼に従軍。壇ノ浦の戦いを目前とした元暦2年(1185)3月11日には、西海(九州)において特に功があったとして、北条義時・小山朝政・小山宗政・中原親能・葛西清重・加藤景廉・工藤祐経・宇佐美祐茂・仁田忠常・比企朝宗・比企能員とともに頼朝から感状を受けています。
    頼朝亡き後は、正治元年(1199)の梶原景時の追放に関わり、建仁3年(1203)の比企能員の変では仁田忠常とともに比企能員を暗殺したと言われています。没年は不明とされています。