富士山東エリア AREA
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富士山東エリアの歴史絵巻の旅へ
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藍澤五卿神社
関連人物 藤原宗行,藤原光親,源有雅,藤原範茂,藤原信能 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(アイザワゴキョウジンジャ)
鎌倉幕府の北条氏により執権政治が行われていた承久3年(1221)、後鳥羽上皇は政権を朝廷に取り戻そうと倒幕計画を進めた。これを知った幕府が直ちに兵を挙げ京を攻め落としたのが「承久の乱」である。首謀者である上皇は隠岐島へ流され、主だった上皇方の公卿や御家人を含む武士達が粛清された。藤原宗行は捕えられた5人の公家の内の1人で、京より鎌倉に送られる途中、鮎沢で最期を遂げたと「吾妻鏡」に記されています。
宗行は上皇の信任厚く、上皇に中国の帝王学の書「貞観政要」を進講するなど、学識深く文学に秀で多くの詩歌を残しており、地元の人々は藍澤神社を創建し祭ることとしました。現在では、他の4人の公家、藤原光親・源有雅・藤原範茂・藤原信能を合わせて藍澤五卿神社として祭っています。
宗行卿の墓、五卿慰霊塔のほか、浩宮殿下がお立ち寄りになられたことを記念する記念樹が植栽されています。
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足柄峠
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(アシガラトウゲ)
海抜759mにあるこの峠は、古くから足柄路として知られ、東国と西国を結ぶ重要な路としてにぎわったところです。
峠には、足柄聖天堂や、新羅三郎義光吹笙の石、足柄の関所跡、足柄城址などがあり、風光明媚な観光名所です。
現在では、ドライブコースやハイキングコースの中継地として、四季を通して多くの観光客が訪れます。
鎌倉時代に入ると、足柄峠や籠坂峠は多くの人たちが行き来し、新たに宿が設置された竹之下には将軍源頼朝、そして日蓮などが宿泊したと言われています。 -
鮎壺の滝
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(アユツボノタキ)
沼津市と長泉町を隔てる狩野川水系の一級河川黄瀬川の中流にある鮎壺の滝は、黄瀬川の流れによって溶岩流の下にあった柔らかい土壌が先に侵食され、残された固い溶岩流により形成された高さ約10m、幅約90mの滝です。平成8年(1996)に県の天然記念物に指定されたほか、伊豆半島ジオパークのジオサイトの1つでもあります。「ぬまづの宝100」にも選ばれました。 「鮎壺」という地名は、ここで鮎が止められ滝壺に群れていたことに由来すると言われており、滝壺が藍のように青いので「藍壺の滝」、滝壺から富士山が見えるので「富士見の滝」とも呼ばれたそうです。 【亀鶴の伝説】 その昔、黄瀬川の里に小野政氏という長者がおりました。子供がないため里の観世音に夫婦で祈願をしたところ、霊験あらたかに婦人は懐胎し、玉のような女児をもうけ、鶴や亀のような長寿をと願い、亀鶴と名付けました。生まれつき容姿明眸に恵まれていましたが、幼くして両親を失い、悲哀の情に堪えず、日夜観音菩薩に詣で、読経や写経にひたすら父母の冥福を祈りましたが、18歳になるころ無常を感じて、この鮎壺の滝に身をに投じました。 一説には、源頼朝が富士の巻狩の際、亀鶴の美貌を聞き、招こうとしたが、亀鶴は応ぜず身を滝に投じたとも、黄瀬川宿の遊女であった亀鶴が、曾我兄弟の仇討ちの場から逃れて滝に身を投じたともいわれています。 -
竃地名由来碑(諏訪神社)
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(カマドチメイユライヒ(スワジンジャ))
建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩りをした際に、この地にカマドを築いたのが地名の由来と言われており、夫婦石と呼ばれる一対の巨石が、この石が富士の巻き狩りでカマドとして使われたと伝わります。
※夫婦石やその説明の碑は別の場所にあり、神社では見ることができません。 -
カンコラ淵
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(カンコラフチ)
黄瀬川に架かる横橋の上流側にある大きな淵です。
富士の巻狩で、武将の一人がうっかりこの淵に太刀を落としたので、水が少なく晴れた日には淵の底が黄金色に輝いたと伝えられています。 -
旧植松家住宅
関連人物 源頼朝 営業時間 8:30~16:00(裾野市中央公園の開園時間) 定休日 12月29日~1月3日(裾野市中央公園の休園日) 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(キュウウエマツケジュウタク)
源頼朝が富士の巻狩りをした際に、尾張国津島(現愛知県津島市)より移住したと言われる植松氏の子孫が住んだ住宅。
国指定重要文化財。
建物自体はもともと裾野市石脇に建っていましたが、調査・保存のため現在地に移築されました。建築手法から江戸時代(18世紀より前)の豪農(農家の名主)の家の構造を維持しているといわれています。また、静岡県東部地域の古民家のなかでも保存状態が良く貴重な建物です。
見どころ
・家を支える太い大黒柱と中柱・曲がりくねった梁
・職人技によって葺かれた茅葺(かやぶき)屋根など -
久成寺
関連人物 藤原光親 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(クジョウジ)
久成寺は、日蓮宗に属し、興統法縁の寺院で嶋倉阿闍梨日済上人の開山です。 寺号は、法華経道場として寺が長く続くようにと願いを込めて「久成寺」の名称にしたと伝えられています。 御殿場市指定文化財である仏具の鰐口(わにぐち)や御霊宝類は、代々大切に保管されています。 境内の枝垂れ桜は、寛文12年(1672)に市内中町の中島常蔵が植えたといわれています。 本堂裏の墓地には「大御神(おおみか)さん」と呼ばれている五輪塔があり、これは承久3年(1221)の承久の乱で籠坂峠中腹で処刑された藤原光親卿を埋葬したと伝わる墓所です。 -
沓間神明宮
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(クツマシンメイグウ)
沓間の神明宮周辺は、御殿場地方の名称「御厨」(みくりや)の中心となった地域とされ、このあたりを中心として、伊勢神宮に寄進された荘園「大沼鮎沢御厨」がありました。御厨には必ず神明宮が勧請されています。
社宝として、大江山の鬼退治で有名な源頼光(金太郎として知られる坂田公時は頼光四天王の1人)奉納の鏡があり、寛和2年(986)と刻まれています。 沓間(くつま)という地名は建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩をした時、神明宮で蹴鞠をした際に沓(靴)を社前に置いたという伝承からきているといわれています。 -
御殿場の由来の地(吾妻神社)
関連人物 源頼朝 営業時間 9:00~16:00(社務所、境内は自由) 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象(ゴテンバノユライノチ(アヅマジンジャ))
元和元年(1615)、大阪夏の陣で豊臣氏を滅ばした徳川家康は、駿府と江戸の間に隠居所となる御殿の適地を探しており、当地が選ばれ、御殿造営が命じられたと伝わります。翌元和2年(1616)4月家康は薨去されたが、幕府代官長野九左衛門清定は、当地の土豪芹沢将監に「御殿新町の御屋敷造営を滞りなくすすめること」を命じています。 この御殿跡に鎮座する吾妻神社には、東照権現(家康公)をはじめ五神が祭られており神社には徳川慶喜公直筆の扁額が奉納されています。 境内には、「地名御殿場発祥の地」の碑や、市内他所から移設された「兜石」(源頼朝が兜を脱いで置いたと伝わる石)などがあります。 -
駒門風穴
関連人物 源頼家,仁田忠常 営業時間 9:00~17:00(12~2月は16:00まで) 定休日 月曜日(祝日は営業)年末年始は12月31日、ただし1月は第1、第2月曜日は営業 富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象(コマカドカザアナ)
富士山の爆発によってできた本穴290m、枝穴118.2mの溶岩洞窟が駒門風穴です。富士山麓では最大規模の溶岩洞窟で、国の天然記念物に指定されています。 建仁3年(1203)、鎌倉幕府二代将軍源頼家による「富士の巻狩」の際、 その家来仁田忠常に命じて探検させた風穴と言われています。 風穴の中腹には頼朝窪と名付けられた窪があります。 -
境川・清住緑地(丸池公園)
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象(サカイガワ・キヨズミリョクチ(マルイケコウエン))
市街地に位置する湧水地。境川が刻んだ谷の中に、富士山の溶岩の中を通ってきた地下水が湧き出しています。湧水の湧く水辺は、行政や地域住民等の協働により親水緑地として整備され、ミシマバイカモをはじめとした水辺の生態系が維持されています。緑地を流れる「境川」はかつて「駿河国」と「伊豆国」を分けた境界でもありました。源頼朝が、国境争いの際、駿河の国と伊豆の国の境と決めたから「境川」と言われるようになったと伝えられています。 -
佐奈田堂
関連人物 佐奈田義忠 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(サナダドウ)
治承4年(1180)石橋山合戦で戦死した相模佐奈田城主佐奈田興一義忠の堂。
▼佐奈田堂の由来 石碑より
治承4年(1180)8月23日源頼朝の家臣佐奈田与一義忠公は平氏討伐の旗揚げに当たり一軍の将として石橋山で戦い、敵将股野五郎景久と対峙した折、敵が大群であったので作戦を夜襲に変更した。闇の中で景久と取っ組み合いとなった与一は、味方のかわす合言葉に痰のため返答できず、味方討ちとなって散った(二十五才) -
対面石(八幡神社)
関連人物 源頼朝,源義経 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(タイメンセキ(ヤハタジンジャ))
静岡県駿東郡清水町の「八幡神社」の境内にある、1180年の富士川の合戦の折に、源頼朝と奥州より駆けつけた義経の兄弟が対面した時に腰かけたと伝わる石。
もともとは今よりも北側にあったとされています。
そばにその時植えられたとされる2本の「ねじり柿」があります。 -
東岳院(きやり地蔵)
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(トウガクイン(キヤリジゾウ))
鎌倉往還沿いに建つ臨済宗の尼寺です。
堂内には、明治時代初めに奉納された浮世絵師歌川一雲斉国秀作の「源頼朝猟富士野之図」が掲げられています。
この絵は、御殿場市民会館大ホール第2緞帳の原図にもなっています。 -
新橋浅間神社
関連人物 源頼朝 営業時間 月~金 9:00~12:00、13:00~16:30(社務所、境内は自由) 定休日 土日祝(社務所、境内は自由) 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(ニイハシセンゲンジンジャ)
富士山東表口参道宮とされる新橋浅間神社の創建は不詳ですが、建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りをしたときの創建とされています。
富士山開山時は御殿場口の起点として開山式、大わらじを担いで練り歩く「わらじ祭り」が健脚と良縁を祈願し行われています。 春には枝垂桜が社殿前を彩り、社殿向かって右手の湧き水「木の花名水」を求めて、多くの水汲みの参拝者が訪れます。
富士の巻狩の折り、源頼朝が足をかけたとされている沓掛石があります。 -
東田中浅間神社
関連人物 和田義盛 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源(ヒガシタナカセンゲンジンジャ)
富士の巻狩に際し、和田義盛が小高い丘に腰を下して昼食を取った際、箸代わりに使った楓の枝が芽吹いて森になったと伝わっています。 -
藤原光親の墓
関連人物 藤原光親 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源(フジワラノミツチカノハカ)
承久の変(承久3年(1231))のとき、後鳥羽上皇が北条氏の討伐の企てに際し、藤原光親卿は極力時期尚早を上奏しましたが聞き入れられず、義時追討の案文を書きました。
謀議はいち早く鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、甲斐武田五郎信光により、鎌倉護送の途中の篭坂峠において斬首されました。
毎年5月に地元の人々により、慰霊祭がとり行われています。 -
頼朝井戸の森
関連人物 源頼朝 営業時間 ー 定休日 ー 富士山東エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象(ヨリトモイドノモリ)
富士の巻狩りを富士山麓で行った際、頼朝がのどを潤すために杯で飲んだ湧き水だと伝えられてきたことから、その水源を包む荘厳な森を「頼朝井戸の森」と呼ぶようになりました。
▼頼朝の井戸 看板より
建久4年(1193)、将軍源頼朝公は、武威を天下に誇示し、且亦将兵の士気をも鼓舞せんものと、駿河国藍沢(御殿場地方)から富士野(上井出地方)に亘る広大な富士山の裾野で大規模な巻狩を催した。