AREA 東伊豆エリア

対象市町

  • 熱海市
  • 伊東市

東伊豆エリアの歴史絵巻の旅へ

  • 逢初橋
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源
    (アイゾメバシ)
    治承2年(1178)、伊豆国の蛭ヶ島に流されていた源頼朝は、伊豆山密巌院の阿闍梨覚淵の坊にいました。その頼朝を慕って伊豆山へやってきたのが北条政子。政子は父北条時政が決めた伊豆国目代山木兼隆との婚礼の夜に伊豆山へ逃れ、足川の地に隠れたのだといい、その知らせを受けた頼朝と政子が劇的な対面をしたのがこの逢初橋だったと伝えられています。
    ※江戸時代以前は、別の場所にありました。
  • 秋戸郷跡
    秋戸郷跡
    関連人物 北条政子,源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アキトノゴウアト)
    ▼秋戸郷 看板より
    この地は、北条政子が平氏の手より隠れ逃れた場所で、秋戸郷と言われている。 治承4年(1180)8月23日、源頼朝は石橋山合戦に挙兵しましたが、戦に敗れて安房に逃れました。 この間政子は、走湯山に身をひそめて頼朝の安否を気づかっていました。9月2日、政子は、伊豆山権現の別当文陽房覚淵:かくえん:の計らいで密かに熱海の秋戸郷(阿伎戸郷とも書く)に移されました。秋戸郷は足川を南の境とする走湯山:そうとうさん:の神域東南隅にあり、浜の方からしか入れないうえ、船着場も近く、神威を後ろ楯に覚淵の保護も行き届き、平氏方の捜査をくらませることが出来ました。その日のうちに土肥実平の子・遠平から、頼朝が安房に逃れるまでの経過を知らされたが、頼朝が船に乗ってからの事は分からないので、その夜の秋戸郷には喜びも悲しみも出る道がなかったのでしょう。この年の10月7日頼朝は鎌倉に入り、秋戸郷をたった政子は、12日、頼朝との再会を喜びあったと思われます。
    「吾妻鏡」、「熱海市史」他より
  • 伊豆山神社
    関連人物 源頼朝,北条政子,源実朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イズサンジンジャ)
    伊豆山神社は、走湯権現とも呼ばれ、親しまれてきた強運守護、福徳和合、縁結びの神様。 平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士山の一帯は、平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに深い信仰を寄せ、伊豆山神社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る歴史の舞台になりました。
    鎌倉将軍の二所詣の聖地となった伊豆山神社は、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬しました。源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金塊和歌集』に収められています。
  • 今宮神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イマミヤジンジャ)
    熱海の西部地区にある今宮神社は、古くより心願成就の宮として崇敬を集めてきました。御祭神は、事代主神と大国主神。創立は大変古く、今から1700年以上も前、仁徳天皇の御世と伝えられています。 源頼朝が伊豆に流されていた頃、熱海の山中に迷い込んだ際に大楠の下にあった社に祈り、無事に追手から逃れることができたことから、その後、殿を造営するなど心を尽くしたと伝わっています。
    毎年10/19・20には、例大祭を開催しています。
  • 音無神社
    音無神社
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (オトナシジンジャ)
    平治の乱後、伊豆国の蛭ヶ島に流された源頼朝は、一時、伊東の北の小御所で暮らしていたといいます。
    その時に出逢ったのが伊東祐親の娘八重姫。愛し合う二人が密かに会っていた場所がこの神社のある「おとなしの森」だったと伝えられ、対岸の「ひぐらしの森」は、頼朝が八重姫に会うため日暮れを待った所といわれています。
    やがて二人の間には男子が生まれ、千鶴丸と名付けられたが、伊東祐親の怒りに触れて殺され、二人の仲も引き裂かれたと伝承されています。
  • 葛見神社
    葛見神社
    関連人物 伊東祐親
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (クズミジンジャ)
    葛見神社(くずみ)は、伊東氏の尊崇と保護を受けた神社。主祭神は葛見神。
    かつてこの辺りは「葛見の庄」と称され、伊東氏の初代家次が社殿を造営し、京都の伏見稲荷大社を勧請して以来、神威を高めてきたました。
    伊東氏の菩提寺である東林寺が別当寺を勤めていたが、明治の神仏分離によって東林寺の住僧が還俗して朝日氏を名乗り、以来朝日家が神職を世襲しています。
  • 十国峠(源実朝の歌碑)
    関連人物 源実朝
    営業時間 8:50~16:50
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジュッコクトウゲ(ミナモトノサネトモノカヒ))
    十国峠は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国を見渡せることからその名が名付けられました。 峠の最高部には、源実朝が箱根権現・伊豆山権現・三嶋大社を参拝する「二所詣」の際に詠んだ歌の歌碑が建てられています。 「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 この歌は実朝が22歳のときのものと言われており、沖の小島とは初島のことだろうと考えられています。『吾妻鏡』によれば、実朝22歳の建保2年(1214)は、正月と9月の2回伊豆山・箱根権現の二所詣が行われているとされている。
  • 伝伊東祐親の墓所
    関連人物 伊東祐親
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (デンイトウスケチカノボショ)
    伊東家は、藤原家を祖先とする一族で、伊東祐親が活躍した平安時代後期には、伊東のみならず、河津町や伊豆市の一部を所領していました。
    祐親は、同族である工藤祐経との世襲のもつれから、赤沢の椎ノ木三本付近で、嫡男河津三郎祐泰が討たれており、このことが「曽我兄弟の仇討ち」につながっていきました。
    また、伊豆に流された源頼朝を丁重に預かっていましたが、娘八重姫との間に出来た千鶴丸に対し、苦渋の決断をしいられたと言われています。
    源平合戦では、頼朝から勢力を増す源氏側に着くことを打診されましたが、平氏への忠義をつくし、自刃したと言われています。
  • 東林寺
    東林寺
    関連人物 伊東祐親,河津三郎祐泰
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (トウリンジ)
    曹洞宗、ご本尊は地獄菩薩、弥陀三尊(平安末期作)であり、今から約850年前伊東祐親入道をして嫡子河津三郎祐泰の菩提を弔った伊東家の菩提寺があります。
    また、河津三郎の墓、曽我兄弟の供養五輪塔、相撲協会による父子の追悼碑もあります。
    江戸時代には、末裔である飫肥藩伊東市が江戸との参勤交代時に東林寺に送った書状が残されている。
    ※参考『図説伊東の歴史』など
  • 走り湯
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ハシリユ)
    相模の海に臨む「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式源泉で、日本三大古泉の一つです。 今から約1300年以上前に発見され、山中から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から 「走り湯」と名付けられました。 「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。 奥行5mの洞窟から今も70度の湯が毎分170リットル湧き出ており、源泉は神秘的な光景が広がります。
  • 日金山東光寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヒガネサントウコウジ)
    十国峠(熱海峠)の近くにある日金山の東光寺は、源頼朝が崇敬した走湯権現の元宮だったと言われています。 273年、大磯の浜辺に出現した光る鏡を祀ったのが始まりとされ、594年に走湯権現の神号を賜りました。その後、承和3年(836)、神霊が本宮山を経て、現在の伊豆山神社のある地に遷座されたと言われています。 源頼朝が源氏再興を祈願した日金山の地蔵を模した日金地蔵が横須賀市の東漸寺に伝わっています。
  • 光り石
    関連人物
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヒカリイシ)
    ▼光り石 看板より
    走り湯縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)より、道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た神様の降り立つ光り石です。神様の愛を受けて、良きことがありますように、光のパワーを沢山賜って光り石に触ったり、座ったりして楽しくお参りしてください。

    ※石そのものは、戦後に設置されたと言われています。
  • 日暮八幡神社
    日暮八幡神社
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒグラシハチマンジンジャ)
    ▼日暮八幡神社 ひぐらしの森由来 看板より
    源頼朝は、伊豆流人の約20年の一時期、伊東の「北の小御所」に暮らしたといわれています。その時、伊東領主・伊東祐親の娘八重姫とのロマンスが生まれたのである。
    二人は対岸の音無の森で逢瀬を重ね、その折頼朝が日暮れを待ったのが、ここひぐらしの森であったと伝えられている。
    二人の愛は、一子千鶴丸の誕生を迎えたが、平家をはばかる祐親の激怒に触れ、仲を引き裂かれ、多くの悲劇の中ではかなく消え去った。
  • みそぎの滝社
    みそぎの滝社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ミソギノタキヤシロ)
    みそぎの滝社は、伊豆に配流の身だった源頼朝が日金山(東光寺)や伊豆山(伊豆山神社)に参詣した際に、渓流の滝で禊(みそぎ)をした場所だとされています。 伝説によると、禊をした後、傍らの草むらでまどろんでいると、滝の中に白蛇が現れる夢を見たと言います。 これを「源氏再興の挙兵をせよ」とのお告げと考えた頼朝は、武運を祈願し祠を奉じたのだと伝えられています。
  • 物見塚公園(伊東祐親の像)
    関連人物 伊東祐親
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (モノミヅカコウエン(イトウスケチカノゾウ))
    伊東市役所に隣接し、伊東市街地から初島まで望めることのできる小高い丘の上の公園です。

    伊東家の館があった伝えられることから祐親の像が置かれたほか、物見ケ丘のシンボルである物見の松(三代目)や尾上柴舟の歌碑などがあります。
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    桃山坂
    関連人物 源頼朝,北条時政,北条政子
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源
    (モモヤマザカ)
    桃山坂は、熱海駅の裏から熱海中学校まで続く坂。 北条時政が、北条政子を取り戻そうとした時、伊豆山の僧兵が「百坂(モモサカ)」を塞いで抵抗したことが『曾我物語』に記述され、現在も坂道愛称碑「桃山坂」が設置されています。
  • 湯前神社
    関連人物
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ユゼンジンジャ)
    「病を除く効果がある温泉がある」と神様からのお告げがあり、祠を立てて神を祀ったのが始まりの神社で、熱海の温泉を守っています。熱海の温泉に感謝し、泉脈が絶えないようにと、毎年春と秋に例大祭が開催されています。 社には奉納した旅館の名前がずらりと刻まれていて、今なき旅館名も連なり、近代温泉旅館の歴史を感じることができます。神社前には熱海温泉の源泉とされる大湯が湧き、「日航亭大湯」では、この源泉の湯で日帰り入浴を楽しむこともできます。
  • 頼朝・政子の腰掛石(伊豆山神社内)
    関連人物 源頼朝,北条政子
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヨリトモ・マサコノコシカケイシ(イズサンジンジャナイ))
    ▼頼朝・政子腰掛け石 看板より
    伊豆の蛭が小島に配流されていた源頼朝は、伊豆山神社を崇敬していました。当時、頼朝と政子が恋を語らったのがこの境内であり、当社で二人の縁が結ばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せました。
  • 頼朝の一杯水・千鶴地蔵由来碑
    頼朝の一杯水・千鶴地蔵由来碑
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヨリトモノイッパイミズ・チヅルジゾウユライヒ)
    伝承によると、伊豆国に流されていた源頼朝は、田方郡伊東荘を領していた伊東祐親の娘・八重姫と結ばれ千鶴丸を授かったと言われています。
    祐親が在京中の出来事でしたが、京から戻った祐親の怒りに遭い、千鶴丸は殺され、頼朝は走湯権現(現在の伊豆山神社)に逃れたと言います。
    伊東を脱出した頼朝は、網代から舟で赤根崎に上陸します。険しい山を越える途中で喉が渇くが、水はなく、あきらめて腰を下ろしたところ、太刀の鐺(こじり)が土に当たって湧き出してきたのが「一杯水」なのだと言い伝えられています。
  • 最誓寺
    関連人物 八重姫,北条義時,伊東家
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    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源
    伊東祐親の娘「八重姫」が、源頼朝との間の子「千鶴丸」(千鶴御前)を弔うために、江間小四郎(のちの北条義時)に願い建立されたと伝わる。当初の寺号は「西成寺」であったが、慶長年間に曹洞宗に改宗、寺号を「最誓寺」に改めた。境内に伊東市指定史跡第一号の「伊東家の墓」がある。これは、江戸時代に周囲に散在していた五輪塔や宝篋印塔を集めたものである。本堂には八重姫が奉祀したとされる「千鶴丸地蔵尊」が安置されている。