10月20日から謎解きWebスタンプラリー開催!

AREA 北伊豆エリア

対象市町

  • 函南町
  • 沼津市
  • 三島市

北伊豆エリアの歴史絵巻の旅へ

  • 右内神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ウナイジンジャ)
    梅名の右内神社は中島の左内神社と共に三嶋大社の御門の守護神で、大社と関係の深い神社です。源頼朝も三嶋大社への途上で度々参詣したといわれています。
    あるとき、手洗い水がないことを不自由に思った頼朝が薙刀(なぎなた)で地面を二三度突いたところ、そこから水が湧き出したといいます。以後、村人はこの「頼朝の手洗い水」を大切にしました。
    鳥居が面している道は道幅が狭く交通量も多くありませんが、東へ進むと道祖神が祀(まつ)られており、その先はかつて中郷村役場のあった梅名公民館へ通じています。
    神社の北を通る県道141号ができる前の地図を見ると、かつては中郷小学校から右内神社前、公民館、大場橋へと通じる道が地域にとって重要な道であったことがうかがえます。
  • 大瀬神社
    関連人物 源為朝,源頼朝,北条政子
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (オセジンジャ)
    大瀬神社の祭神は引手力命(ひきてちからのみこと)で、延喜式に記載される田方郡の式内社「引手力命神社」ではないかといわれています。駿河湾北部沿岸の漁民の信仰を広く集め、船を新造する時には、必ずこの神社に参詣し、海上の安全を祈念したといわれています。
    また、神社には古来から武術の霊験があるといわれ、源為朝が伊豆大島に流された際、海を渡って当社に祈って傷をいやし、以前に増して力を得たといわれています。また、源頼朝や北条政子も太刀や鏡を奉納したと伝わりますが、津波によって失われてしまいました。
    大瀬神社がある大瀬崎は、駿河湾に細長く突き出た半島で、駿河湾の海流によって土砂が堆積した砂嘴(さし)という特殊な地形です。岬の先端にある神池は、海が近いにもかかわらず真水であることから、伊豆の七不思議に数えられています。また、神域には樹齢数百年といわれるビャクシンの古木が多数生い茂り、国の天然記念物に指定されています。
  • 願成寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ガンジョウジ)
    源頼朝の百日祈願の時に宿所となり、平家打倒の願いが成就した後に寺号を賜ったという寺伝を持つ。江戸時代、三嶋大社宮司矢田部家の帰依を受け、現在も社家一族の先祖供養を行っている。参道の両脇には山門の代わりに植えたとも言われる樹齢300年以上の一対のクスノキが繁り、市の天然記念物に指定されている。
  • 首かけの松の石碑(大泉寺内)
    関連人物 阿野全成,阿野時元,阿波局
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (クビカケマツノセキヒ(ダイセンジナイ))
    阿野全成が謀反の罪で斬られた時、その首が子の時元のいるこの地まで飛んできて松の木にかかったと言われています。
    また、家臣が首を持ち帰ったが、警備が厳しく館の中に入れなかったため、入り口近くの松にかけたとも伝わっています。
    大泉寺の入口にあった松がその松だといわれていましたが、現在は枯れてしまいその跡に石碑が建てられています。
    またその切り株は寺で保存されています。
  • 高源寺
    高源寺
    関連人物 源頼朝,比企尼,丹後の局
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (コウゲンジ)
    源頼朝が石橋山の戦いに挑む際の旗揚げの地とされており、源頼朝が源氏再興の密議をしたと伝えられています。

    ▼比企尼の供養塔 看板より
    源頼朝が伊豆に流されたとき、頼家の乳母である比企尼も現在の函南町大竹に住み、頼朝公を守られました。
    敷地内にはその比企尼のものと伝わる供養塔があります。
  • 在庁道(頼朝道)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ザイチョウドウ(ライチョウドウ))
    三嶋大社の例祭には必ず参拝すると誓った源頼朝が、鎌倉から離れているために、安久にいる7人の農民に命じて交代で代参させたと伝えられています。彼らは「在庁」または「頼朝(らいちょう)」と呼ばれ、頼朝と同じ征夷大将軍の装束で代参していたといいます。
    この時に使われていた安久から青木に北上し間眠神社横に向かう道は、「在庁道」または「頼朝道」と呼ばれ、この風習は明治時代まで行われていました。
  • 妻塚観音堂
    関連人物 源頼朝,大庭景親
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (サイヅカカンノンドウ)
    ▼妻塚観音堂由来 石碑より

    蛭ヶ島に流罪中の頼朝は、源家の再興を祈願して、100日の間毎夜大社に詣でる事を決めました。一方平家の命により頼朝を見張る任を命じられた山木判官兼隆は、当時大場から多呂、北沢の辺りまでを領していた豪族大庭景親に頼朝をひそかに殺すことを命じました。
    景親の妻は多少源氏に縁のある者の娘でありましたので、夫の景親をいさめ、頼朝をたすけてくれる様なんども頼みましたが聞き入れてはくれず、丁度頼朝の満願の日が近づいてまいりました。景親は暗闇にまぎれ道に隠れ頼朝の来るのを待ちました。すると女の着物をきた頼朝らしい姿を見つけ、「女に化けるとは卑怯なやつ。」と抜く手も見せずに斬り倒しました。しかしよくよく見るとそれは頼朝ではなく、なんと夫を思いとめようとして頼朝の身代わりになった自分の妻だったのです。景親は大変悲しみそこに塚をたてて菩提を弔ったといいます。
  • 周福寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シュウフクジ)
    もとは頼朝が三嶋大社参詣の折いつも休んでいたという、稲荷社(現在の間眠神社)前の小堂で、建久元年(1190)頼朝がこの地に移して寺とし、薬師如来及び両脇侍を安置して寺号を宝鼎山周福寺と名付けたという。寺伝には、ある夜頼朝が稲荷社前の小堂で休んでいると吉夢を見たので、堂の傍らに松を植えたという、間眠の松についての異説が伝えられている。
  • 心経寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シンギョウジ)
    創建年代等は不詳だが、法相宗の寺であったものを頼朝の命によって真言宗に改め、寺号も神鏡寺と称するようになったと伝わる。応永22年(1415)に臨済宗に改宋し、寺号も心経寺に改め現在に至る。永禄12年(1569)の北条氏と武田氏の戦いの際には北条氏の本陣が置かれた。門前の道は三島八小路のひとつである上小路。
  • 禅長寺頼政堂
    関連人物 源頼政,菖蒲御前
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ゼンチョウジヨリマサドウ)
    禅長寺は元は真言宗の寺院で弘法大師の開基と伝わります。大師がこの地で大滝の傍らに不動尊を彫刻し、山上に虚空蔵菩薩を、小滝に観世音菩薩を安置したのが始まりとされ、寛永年間(1624~1645)に村民に請われた雪厳和尚が当寺に住み、開山となって禅宗に改めました。
    伝説では、宇治川の戦いで戦死した源頼政の遺骨を、妻の菖蒲御前が故郷に近いこの地に持ち帰り、山中の当寺に潜んだといわれています。
    元禄11年(1698)頼政の後裔と称する上野高崎城主松平輝貞が改築寄進したものが現在の頼政堂です。建物は寄棟造、瓦葺、平屋建の市内唯一の典型的な禅宗式仏殿建築として市の有形文化財に指定されています。堂内には頼政と菖蒲御前の仏像が安置され、境内には菖蒲塚と、頼政・菖蒲御前の墓地と伝えられているものがあります。
  • 宗徳院
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ソウトクイン)
    頼朝が三嶋大社へ百日祈願に通う折この寺の地蔵菩薩にも祈願したと伝わる。門前の橋は頼朝の乗った馬が跪いてついたといわれる窪みがあったと言われるが、橋の架け替えや河川改修を経て今は残っておらず、駒爪の橋の名前だけが残る。橋を渡ると頼朝が足痛の祈願をしたという祠があり、寺には年代不詳ではあるが頼朝像が安置されている。
  • 大泉寺
    関連人物 阿野全成,阿野時元,阿波局
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ダイセンジ)
    源頼朝の異母弟阿野全成の居館跡といわれる地に建つ寺。
    境内には館跡を偲ばせる土塁が残っています。 全成が居館に建てた持仏堂が大泉寺のはじまりといわれ、当初は真言宗の寺でしたが、天正年間(1573~92)に曹洞宗に改宗されたとされています。
    ▼大泉寺 HP
    開基は法華院殿阿野法橋全成(ほっけいんでんあのほうきょうぜんじょう)である。牛若丸と弁慶の話は誰でも知っているが、源頼朝に今若丸(いまわかまる)という異母兄弟がいたことは余り知られていない。この今若丸がのちの阿野全成である。牛若丸と今若丸は源義朝と常磐の間に生まれ、平治の乱で義朝が敗北したあと寺に預けられたのも同じなら乱暴者で名が通っていたのも同じである。今若丸は醍醐の悪禅師とも呼ばれ、治承4年(1180)頼朝挙兵後その傘下に加わり、源平の争乱後駿河の阿野荘(沼津市今沢から富士市吉原にかけてを阿野庄といった)を賜って阿野全成と呼ばれるようになる。
    北条時政の娘(阿波局)と結婚し、現在の大泉寺あたりに館を建てその一隅に持仏堂を造り源氏一門の霊を慰めたのが寺の始まりで、最初は真言宗であったという。
  • 手無地蔵堂
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (テナシジゾウドウ)
    ▼手無地蔵 看板より
    昔、この地に建っていたといわれる神社は、森に囲まれており、年代は不詳だが焼けてしまった。
    この荒涼した跡にお堂が建った。これが手無地蔵であるといわれている。
    この地蔵堂には次のような伝説がある。
    昔このお堂のそばに石地蔵があり、よく化けては人を驚かせていた。
    ある日いつものように化けて、若侍の髪を引いたら、逆にその若侍に左手を切り落とされてしまった。
    このため手無地蔵といわれるようになったという。
    ※なおこの若侍は源頼朝であるという言い伝えもある。
  • 伝阿野全成・阿野時元の墓(大泉寺内)
    関連人物 阿野全成,阿野時元
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (デンアノゼンジョウ・アノトキモトノハカ(ダイセンジナイ))
    大泉寺の境内には源頼朝の異母弟阿野全成と、その子、時元のものと伝わる墓石があります。
    時元の母は北条義時と政子の妹にあたる阿波局といわれています。

    ▼伝阿野全成・時元墓 看板より
    阿野全成は、幼名は今若丸といい清和源氏の嫡男源義朝の七男です。鎌倉幕府を開いた頼朝の異母弟、義経の同母兄にあたり、母は有名な常磐御前です。
    頼朝の死後、建仁3年(1203)5月、全成は阿野庄において兵を挙げましたが、幕府軍に捕らえられ常陸国へ配流となり、同年6月23日、下野国で処刑されました。首は阿野庄の全成館へ届けられたと伝えられています。
    その後、全成の遺児時元も承久元年(1219)2月11日、反北条の兵を挙げましたが、執権北条義時はただちに兵を差し向け、交戦10日の後に阿野一族は敗北して、時元も自刃しました。
  • 徳源寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (トクゲンジ)
    源頼朝が富士の巻狩の際に、現在の寺地に陣営を構えたといわれ、「御殿場」の地名が生じたといわれています。
    その後、陣屋は「今律寺」という寺を経て、北条時宗の帰依を受けた円覚寺開山仏光国師(無学祖元禅師)の弟子、賢宗禅師によって安泰山徳源禅寺が建立されました。賢宗禅師は円覚寺建立に尽力し、後光厳上皇より勅諡号圓護国禅師と紫衣を賜りました。
    境内には「頼朝お手植えの松三代目」とされる数百年たった松があります。
  • 仁田四郎忠常の墓
    仁田四郎忠常の墓
    関連人物 仁田四郎忠常
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ニッタシロウタダツネノハカ)
     仁田忠常は、伊豆国仁田郷の武将。
     1180年(治承4年)8月17日、伊豆国に流されていた源頼朝が挙兵するとこれに従った。
     1185年(元暦2年)の平家追討では源範頼に従って活躍し、西海(九州)において特に功があったとして、北条義時・小山朝政・小山宗政・中原親能・葛西清重・加藤景廉・工藤祐経・宇佐美祐茂・天野遠景・比企朝宗・比企能員とともに頼朝から感状を受けている。
     1189年(文治5年)の奥州征伐でも武功を挙げた。
     1193年(建久4年)の富士裾野の巻狩りの際に起こった「曽我兄弟の仇討ち」では、十郎祐成を討ち取っている。
     頼朝亡き後も二代将軍源頼家の信任を得て、頼家の嫡子一幡の乳母夫に就任。
     1203年(建仁3年)9月2日の比企の乱では、北条時政の命により比企能員を暗殺したが、9月6日には、加藤景廉に殺された。
     静岡県田方郡函南町仁田には忠常の墓と館跡があり、現在も子孫によって守られている。
     また、平成12年度の発掘調査で、仁田館遺跡から867枚のこけら経が出土し、静岡県指定有形文化財となっている。
  • 日枝神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ヒエジンジャ)
    ▼日枝神社 HPより
    この地域は平安時代大岡庄と称され、関白藤原師通の領地でした。
    嘉保2年(1095)、美濃守源義綱が延暦寺の僧、山王の神主を殺害する事件があり、関白藤原師通は延暦寺の訴えを拒絶した為、僧・神主に呪詛されて山王の祟りを受け38才で死亡しました。
    師通の母は近江国の日吉大社の御神霊を分祀し八町八反の田を寄進して謝罪の礼を表されたのが起源です。時に、第73代 堀河天皇の時代、永長元年(1096)のことです。
    神社に伝わる大釜は、源頼朝に縁のもので、建久4年(1193)の富士の巻狩りの際、炊飯用に使用されたものだといわれています。
  • 北条宗時の墓
    北条宗時の墓
    関連人物 北条宗時,狩野茂光
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ホウジョウムネトキノハカ)
    北条宗時は、北条時政の嫡男で北条政子の兄です。 治承4年(1180)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝に従いますが、頼朝軍は山木兼隆を討った後、8月24日、相模国の石橋山で大庭景親軍に大敗し、頼朝は山中へ逃れました。 『吾妻鏡』によれば、北条時政と宗時、義時の父子は頼朝と別行動をとり、時政と義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥(現湯河原町)から桑原を経て平井郷へ向かおうとしました。しかし、早河の辺で伊東祐親の軍に包囲され小平井久重に討ち取られたのだといいます。のちに時政がこの地に宗時を祀ったものと伝えられています。 大小二基の塔のうち、大きい方が北条宗時、小さい方が狩野(工藤)茂光の墓と言われています。 『吾妻鏡』によれば、建仁2年(1202)、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の追善供養を行っています。
  • 法華寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ホッケジ)
    本堂前に頼朝が腰かけたと伝わる腰かけ石があり、かつては、頼朝が衣をかけたといわれる「衣かけの松」もありました。
  • 間眠神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (マドロミジンジャ)
    ▼間眠神社縁起 看板より
    韮山蛭ヶ島に流された源頼朝が、治承4年源家再興の大願を立て、三島大明神に100日の丑刻祈願を行なった途上、路傍の祠の松の大樹の下でしばしまどろんだと伝えられている。
    またこの祠は往古大洪水により韮山の長崎より流着した稲荷神社であったと古老の口碑に伝わっている。
    祭神は豊受姫命である。後世、この松を頼朝公間眠の松といい、社を間眠稲荷または間眠宮と呼ぶようになった。
    大七五三縄は毎年長崎から奉納される。
  • 三嶋大社
    関連人物 源頼朝,北条政子,安達藤九郎盛長
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ミシマタイシャ)
    創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。 平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)、伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。 また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
  • 妙覚寺
    関連人物 六代
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミョウカクジ)
    日蓮宗の寺で、開山は日安、文永年中に創建されました。 寺伝によると、「平維盛の子六代は、仏門に入り文覚の弟子となって妙覚といった。建久年間文覚の謀叛に連座して、相模国手越川原において誅せられたが、その臣斎藤六範房が、六代の首級を抱いて千本松原に至り、以前の擬刑の地に埋めて、ひそかに下河原に移り住み、朝夕香花をたむけて六代の冥福を祈った。 範房は正治2年(1200年)に伊豆にのがれ住んだが、再び沼津に来住した。その孫に当たる利安は、日蓮が来沼して法を説くのを聞き、これに帰依して名を日安と改め、自宅を精舎として、満松山妙覚寺と号した。満松はこの地の旧名で、妙覚は六代の法名である。日安は当寺の開山で延慶元年(1308年)11月12日に遷化した。」と伝えられています。
    宝物として、日蓮真筆の曼陀羅・消息文をはじめ、日昭・日朗・日進・日実筆の曼陀羅数幅があり、今川・武田両氏の朱印状などを残しています。また、境内には、作家・井上靖が沼津中学時代ここに寄宿していた縁で、文学碑が造られています。
  • 霊山寺五輪塔
    関連人物 平重盛
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (リョウゼンジゴリントウ)
    通称「れいざんじ」と呼ばれている、曹洞宗永平寺派の寺です。昔は真言宗の寺院でしたが、延享5年(1748)に火災に遭って寺記をことごとく焼失したため、創建の年代などは不詳です。伝説によれば、天平の詔によって創立されたものといわれています。永禄元年(1557)に宗祖の道元禅師より12世の法孫である機外永宜和尚が、伊豆国北条村の真珠院の住職であった時、当寺に招かれて中興開山となりました。このために真珠院を本寺とし、曹洞宗に改宗しました。塔頭として、光明院・西光院がありましたが、後者は廃寺となり、前者は平成13年(2001)大岡三明寺に移転しました。 境内にある梵鐘には、貞治3年(1364)の銘があり、現存するものとしては県下で4番目に古いもので、県の有形文化財に指定されています。墓地には変形宝筺印塔が4基、五輪塔が3基あり、市の史跡に指定されています。このうち凝灰岩で造られたひときわ大きな五輪塔は平重盛の墓という言い伝えがありましたが、江戸時代に青銅製の蔵骨器がみつかり、その銘から元享3年(1323)に亡くなった成真大徳という僧侶の墓であることが判明しました。
  • 六萬部寺
    六萬部寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ロクマンベジ)
    平治の乱後、伊豆国流罪となった源頼朝は、配流地の蛭ヶ島で父義朝の菩提を弔いながら過ごしていたといいます。

    六萬部寺の経塚は、頼朝が、父祖の冥福と源氏の再興を祈念し、法華経六萬部を埋納したと場所と伝えられており、経塚はもとは円墳だったものを利用したものだといいます。