第2弾 伊豆・富士山歴史絵巻 Webスタンプラリー with 神奈川 開催!

INDEX

  • 飯森浅間神社
    飯森浅間神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イイモリセンゲンジンジャ)
    富士川の合戦のときに兵糧を置いたので飯守から飯森と名前が変化した、あるいは飯森山の神さまを祀ってるからこの名前になった等の由来あります。また、かぐや姫の召使を祀るとも言われています。
  • 音止の滝
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時政
    営業時間 24時間(駐車場8:30-16:30)
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (オトドメノタキ)
    高さ25mの絶壁から轟音をとどろかせている音止の滝は、曾我兄弟が父の仇の工藤祐経(くどうすけつね)を討つ相談をしていた際、滝の音で声がさえぎられたため、しばし神に念じたところ一瞬滝の音が止んだという伝説からこの名をつけられたと言われています。
  • お鬢水
    お鬢水
    関連人物 源頼朝
    営業時間 24時間(駐車場8:30-16:30)
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (オビンミズ)
    ▼お鬢水 看板より
    お鬢水は、鬢撫水(びんなでみず)とも呼ばれ、馬蹄状に広がる白糸の滝壁面のほぼ中央部で芝川本流が落下する部分の上部にある。湧水が溶岩の窪地にたたえられ池となったもので、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。
    鎌倉時代、源頼朝が「富士の巻狩」のおり、ここに立ちより鏡のような水面に鬢のほつれを映し、撫でつけたと言い伝えられている。
  • 狩宿の下馬桜(井出家高麗門及び長屋)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (カリヤドノゲバザクラ(イデケコウライモンオヨビナガヤ))
    ▼狩宿の下馬桜 看板より
    この地は「狩宿」といわれ、建久4年(1193)源頼朝が、富士の巻狩の際に陣屋を設けた所と伝えられる。頼朝の本陣(宿所)は井出館におかれ当時の館は、現在の井出家の北東側にあったと言われている。
    「狩宿の下馬桜」は、別名「駒止めの桜」と呼ばれ、頼朝が桜の枝に馬をつないだと伝えられる。

    ▼井出家高麗門及び長屋 看板より
    井出家は中世以来の歴史を持つ名家で、その邸宅周辺は源頼朝の富士の巻狩の際の宿所となった地であると理解されている。
    この建物は中央に袖塀を備えた高麗門(表門)を開き、両側に長屋を付属させたもので、建築年代は江戸時代中期の火災等により定かではないが随所にみられる大工等の技術伝承の特質から、近世上層農家の特徴を持つ古くからの建築様式を継承した貴重な建造物である。
  • 寒竹浅間神社
    寒竹浅間神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (カンチクセンゲンジンジャ)
    治承4年(1180)源頼朝富士川の合戦で当社を物見台として陣地とし、境内の小竹を篝火の燃料としたとあり、また、静岡県の神社明細書には、戦国時代永禄年間(1560)頃の創建と記されています。


    加えて、寒竹浅間神社は、かぐや姫を育てた老夫婦の屋敷があった場所と伝えられています。寒竹とは、竹の一品種で高さ2~3mになり秋から冬にかけて竹の子が出て生長します。
    この地に同社が鎮座する理由も、周辺が竹林に覆われた物語の舞台に相応しい様相だったことが影響すると考えられます。
  • 工藤祐経の墓
    関連人物 工藤祐経,曽我十郎祐成,曽我五郎時政
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (クドウスケツネノハカ)
    ▼工藤祐経の墓 看板より
    曽我の隠れ岩から100mほど東にあたるこの墳墓は、曽我兄弟(兄十郎祐成、弟五郎時致)に討たれた工藤祐経の墓と伝えられています。
    この地は、建久4年(1193)5月28日夜半、雷雨の中、工藤祐経が曽我兄弟に討ち入られ最期を遂げた地だと言われています。
    この墓は、曽我兄弟によって討たれた工藤祐経がこのちに埋められたと伝えられることから、長い間ひっそりと守られてきました。
  • 五郎の首洗い井戸
    五郎の首洗い井戸
    関連人物 源頼朝,工藤祐経,曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ゴロウノクビアライイド)
    仇討ちの後、捉えられ、鎌倉へ連行されることとなった曽我五郎時致は、現在の鷹岡の地で首をはねられたという。
    この井戸は、五郎時致の首を洗ったとされ、その時、井戸の水が赤く染まったという。現在井戸は無く、碑のみ置かれている。
  • 實相寺
    實相寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジッソウジ)
    源頼朝が平家打倒の祈願を行ったと伝えられています。
  • 白糸の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間 24時間(駐車場8:30-16:30)
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シライトノタキ)
    富士山の雪解け水が、上部の水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。 高さ20m・幅150mの湾曲した絶壁から、大小数百の滝が流れ落ちおり、その姿は白糸の名にふさわしく、幾筋もの絹糸をさらしているよう。国の名勝及び天然記念物に指定されている。(平成2年日本の滝百選に選定) 富士の巻狩りの際に白糸の滝に立ち寄った源頼朝は「この上にいかなる姫やおはすらん おだまき流す白糸の滝」と歌っています。
  • 陣馬の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジンバノタキ)
    ▼富士宮歩く博物館 看板より
    「鎌倉時代の初め、建久4年(1193)のこと、富士山の麓で巻狩を催した源頼朝が、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いた。それから後、その滝を陣馬の滝というようになったと伝えられている。」
  • 曽我兄弟の隠れ岩
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時政
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ソガキョウダイノカクレイワ)
    ▼曽我の隠れ岩 看板より
    曽我の隠れ岩は、曽我兄弟(兄十郎祐成、弟五郎時致)が、岩の東側にあったとされる工藤祐経の陣屋を偵察し、討ち入りの密儀を行った場所と伝えられている。
    曽我兄弟の討ち入りは、兄弟の父、河津三郎祐泰が領地争いから伊豆で工藤祐経に暗殺されたことに始まっている。
    やがて、成長した兄弟は仇討を念願し、建久4年(1193)5月28日の宵、富士の巻狩に参加していた工藤祐経をついにこの地で討つことができたといわれる事件。
  • 曽我兄弟霊地
    関連人物 源頼朝,曽我十郎祐成,曽我五郎時政,仁田忠常
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ソガキョウダイレイチ)
    曽我八幡宮の高台に曽我兄弟の供養塔があります。
    この辺りで兄の十郎が仁田忠常に討たれたと伝えられています。

    曽我兄弟の墓は、兄弟が討死したこの地と、兄弟の育った曽我荘(現小田原市曽我)の城前寺に作られているが、非業の最期を遂げた兄弟の霊は御霊信仰と習合して祀られ、各地に曽我兄弟の墓が見られます。
  • 曽我寺(鷹岳山福泉寺)
    曽我寺(鷹岳山福泉寺)
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ソガデラ(ヨウガクザンフクセンジ))
    曹洞宗のお寺で、境内には曽我兄弟の墓があります。十辺舎一九の『東海道中膝栗毛』の中に「曽我兄弟の石碑(お墓)」を参拝したことや、江戸時代の絵図に「曽我道」があることから、江戸時代には東海道を旅する人たちの名所として参詣したと考えられます。
    正式には「福泉寺」と言いますが、曽我兄弟がねむる寺として人々に「曽我寺」の名で呼ばれています。
     本堂には、兄弟の木像や位牌が安置されています。かつては、仇討ちを果たした5月28日の近くの土日に、曽我兄弟の供養祭が盛大に行われていました。今でも御子孫や関係者によって供養が行われています。
  • 曽我八幡宮
    曽我八幡宮
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ソガハチマングウ)
    この神社には、応神天皇と曽我兄弟が祀られています。
    神社が所蔵している「曽我八幡宮略縁起」には、建久8年(1197)、曽我兄弟の親の仇討ちの意志に感心した源頼朝が家臣の岡部泰綱に命じて建てたといわれています。
     天文年間(1532~1555)に武田、今川、北条の三氏の戦場になったため神社は焼けてしまいました。江戸時代になり、慶長14年(1609)に、関東代官の伊奈備前守忠次が検地のため、この地に来た時に、神社は再建されたとされています。その後、天保2年(1831)雨宮守弘が社殿を現在地に移しました。
     この神社には、奉納された曽我兄弟の絵馬や「曽我八幡宮略縁起」の版木が残されています。(現在は富士山かぐや姫ミュージアムに寄託)
     また、雁をみて父を思う幼い兄弟像が境内にあります。
  • 曽我八幡宮
    関連人物 源頼朝,曽我十郎祐成,曽我五郎時政,畠山重忠
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ソガハチマングウ)
    ▼富士宮市歩く博物館 曽我八幡 看板より
    社殿は、源頼朝が曽我兄弟の孝心に感じ、兄弟の英魂を祭るよう畠山重忠を遣わし、建久8年(1197)に上原の住人渡辺主水に祭らせたと伝えている。この地は、仁田四郎忠常の陣所の近く、十郎祐成が討たれた所だと言い伝えられている。
    主神は応神天皇で、兄弟はその相殿として祭られている。主神の応神天皇の尊像は、頼朝の命によって文覚が刻んだものだといわれる騎馬像である。兄弟の像は、畠山重忠が丹波法眼に命じて刻ませた像だといわれている。
    近世になって、歌舞伎や芝居で、「曽我物語」が盛んに上映されるようになると、曽我八幡宮では曽我兄弟の木像や兄弟ゆかりの品を持って江戸で出開帳を行った。その出開帳の収入が、神社の維持管理にあてられたものと思われる。
  • 太鼓石(遠照寺)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (タイコイシ(オンショウジ))
    ▼ 石碑より
    「1193(建久四)年、鎌倉幕府の富士の巻狩りの際滝近くに一夜の陣を敷いた。
    その夜辺りが静けさを取戻すと頼朝の耳に太鼓を叩くような音が聞こえてきた。
    不思議におもった頼朝はすぐさま郎党達に調べさせると夕刻人馬を潤した滝壺から奇妙な形をした石(富士山溶岩樹形)を発見した。
    この石が滝の水によって音を出していたのであった。
    その後この滝は「陣馬の滝」、石は「太鼓石」と呼ばれ言い継がれてきた。」
  • 滝川神社
    滝川神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (タキガワジンジャ)
    ▼滝川神社 看板より
    平家討伐に挙兵した源頼朝は、治承4年(1180)の富士川の合戦に際し当社で戦勝を祈願し、建久4年(1193)の富士の巻狩り時には、直径五寸程の黄金の玉を奉納したと伝えられています。

    滝川神社は現在でも「滝川の浅間さん」と呼ばれていますが、江戸時代以前には「原田浅間社」や「新宮」、または「父宮」などと呼ばれていました。これは、かぐや姫の養父の竹取翁を祀っていたことからきている呼び名とみられます。
  • 玉渡神社
    玉渡神社
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時致,虎御前
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (タマワタリジンジャ)
    この神社は、曽我十郎祐成の恋人・虎御前が祀られています。虎御前は、仇討ちから3カ月後に兄弟の霊を慰めるためにこの地を訪れました。疲れて小さな祠の前で休んでいると、2つの火の玉があらわれ、虎御前はそれを兄弟の魂だと思い、小さな祠にこもって念仏を唱えて兄弟の冥福を祈ったとされています。
     その姿をみた村人達が、後にこの地へ玉渡神社を建てて虎御前を祀ったと言われています。
  • 虎御前の腰掛石
    関連人物 源頼朝,曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (トラゴゼンノコシカケイシ)
    曽我兄弟が仇討ちのために旅立った後、虎御前は兄弟の安否を心配して後を追った。虎御前がこの地に差し掛かった時に兄弟の絶命を知り、その場で泣き崩れて岩に腰掛けたという。その石が、虎御前の腰掛石として知られている。
  • 撫川
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ナデカワ)
    富士の巻狩のおり、源頼朝が矢の根で地面を撫でたところ、その場所から清水が湧き出し、その水で大勢の武士が渇きをいやしたといいます。
    そこで、その川を撫川というようになったといわれています。
  • 畠山重忠の桜
    関連人物 畠山重忠
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ハタケヤマシゲタダノサクラ)
    畠山重忠が、陣所の近くに植えたサクラだとか、馬をつないだ駒止のサクラだとかいわれています。
  • 人穴
    関連人物 源頼家,新田忠常
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒトアナ)
    ▼溶岩洞穴「人穴」 看板より
    「溶岩洞穴「人穴」は、富士山の旧期側火山溶岩流(約11000年前~約8000年前)に属する犬涼み山溶岩流上より形成された。犬涼み山は標高1210mの側火山(寄生火山)で、この溶岩流は大量に西方の朝霧高原へ流下している。
    鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、建仁3年(1203)鎌倉幕府二代将軍源頼家の命によって、洞内を探検した武士(新田忠常とその家来)が霊的な体験をした話が載せられている。この中で「人穴」は、「浅間大菩薩の御在所」とあり、当時、この穴が富士山信仰に関係する場所であったことがうかがえる。」
  • 日吉神社
    日吉神社
    関連人物 源頼朝,鮫島四郎
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヒヨシジンジャ)
    富士郡鮫島村出身の鮫島四郎宗家の氏神です。
    宗家は頼朝が韮山で平氏追討の旗揚げをしたときから頼朝に仕えた武士で、富士川の合戦では道先案内をつとめたと考えられています。
  • 富士山本宮浅間大社
    関連人物 源頼朝,北条義時
    営業時間 5:00-20:00(4月~9月)、5:30-19:30(3月、10月)
    6:00-19:00(11月~2月)
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (フジサンホングウセンゲンタイシャ)
    浅間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されるようになりました。
    歴代武将の事跡も多数ありますが、中でも特に篤い崇敬を寄せたのは、源頼朝・北条義時・武田信玄勝頼親子・徳川家康でした。
    源頼朝公は、建久4年(1193)富士山麓において巻狩りを行った際、流鏑馬を奉納したと言われ、富士宮市指定無形民俗文化財「富士山本宮浅間大社流鏑馬」の起源とも言われています。北条義時は、社殿の修復などを行いました。
  • 平家越
    平家越
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヘイケゴエ)
    治承4年(1180)10月20日、富士川を挟んで、源氏の軍勢が動くと、近くの沼で眠っていた水鳥が一斉に飛び立ちました。 その羽音に驚いた平家軍は、源氏の夜襲と思い込み、戦いを交えずして西へ逃げ去りました。 この辺りに源氏が陣を敷いたとされ、それにちなんで「平家越」と呼ばれてます。
  • 御崎神社
    御崎神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ミサキジンジャ)
    ▼御崎神社 看板より
    当社を見志岐里明神と呼んでいたことからも推察されますように、大変見晴らしのよい高台にあったので、富士川の源平合戦の時には源氏方の陣屋となり、東比奈の諏訪神社と共に、頼朝公より幣帛を賜ったという伝承もありますので、当社の創建年代は、少なくとも合戦の行われた治承四年以前であろうと述べられています。

    源氏軍が陣を置いたとされている。かつては物見の松という老木もありました。
  • 横割八幡宮
    横割八幡宮
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ヨコワリハチマングウ)
    富士川の合戦のとき、頼朝が弓矢と馬を奉納し平氏追討の戦勝祈願をして成就したとの伝承から、村では霊験あらたかな神様を祀る神社として篤く信仰されました。
  • 呼子坂
    呼子坂
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヨビコザカ)
    ▼史跡 呼子坂 看板より
    治承4年(1180)富士川の合戦に際し、源頼朝率いる源氏の軍勢がこの付近の高台一帯に陣を敷き、ここで呼子を吹いて軍勢を集めたことからこの呼び名が付けられたと伝えられています。
  • 鎧ヶ渕(鎧ヶ淵親水公園)
    鎧ヶ渕(鎧ヶ淵親水公園)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヨロイガフチ(ヨロイガフチシンスイコウエン))
    ▼鎧ケ淵の伝説 石碑より
    源頼朝が治承4年(1180)十月、富士川の合戦のとき、ここで鎧を脱いで身体を洗ったので「鎧ケ淵」と呼ぶようになったと伝えられている。
  • 和田神社
    和田神社
    関連人物 和田義盛
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ワダジンジャ)
    ▼和田神社 看板より
    治承4年(1180)10月 富士南麓の加島平野で、源平の大合戦が展開されようとした時、源氏の大軍は今泉・原田の高台を中心に依田橋・鈴川・鮫島など当時の富士川東岸一帯に陣を敷いた。
    勢子村(今泉村)付近の守りを頼朝から命じられた和田義盛は東泉院(現日吉浅間神社)付近に本陣をおき、南側を流れる川に逆茂木をしかけて厳重に警備したと伝えられている。
    そのため、のちにその川を和田川と呼び陣を敷いた所を和田城、その付近の土地を「和田」と呼んだ。
    そして土地の人々は和田義盛をこの土地の守護神として神社を建てた。
    和田義盛は鎌倉での北条軍との戦いに敗れる。
    建保元年(1213)5月3日没す。