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  • 大瀬神社
    関連人物 源為朝,源頼朝,北条政子
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (オセジンジャ)
    大瀬神社の祭神は引手力命(ひきてちからのみこと)で、延喜式に記載される田方郡の式内社「引手力命神社」ではないかといわれています。駿河湾北部沿岸の漁民の信仰を広く集め、船を新造する時には、必ずこの神社に参詣し、海上の安全を祈念したといわれています。
    また、神社には古来から武術の霊験があるといわれ、源為朝が伊豆大島に流された際、海を渡って当社に祈って傷をいやし、以前に増して力を得たといわれています。また、源頼朝や北条政子も太刀や鏡を奉納したと伝わりますが、津波によって失われてしまいました。
    大瀬神社がある大瀬崎は、駿河湾に細長く突き出た半島で、駿河湾の海流によって土砂が堆積した砂嘴(さし)という特殊な地形です。岬の先端にある神池は、海が近いにもかかわらず真水であることから、伊豆の七不思議に数えられています。また、神域には樹齢数百年といわれるビャクシンの古木が多数生い茂り、国の天然記念物に指定されています。
  • 首かけの松の石碑(大泉寺内)
    関連人物 阿野全成,阿野時元,阿波局
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    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (クビカケマツノセキヒ(ダイセンジナイ))
    阿野全成が謀反の罪で斬られた時、その首が子の時元のいるこの地まで飛んできて松の木にかかったと言われています。
    また、家臣が首を持ち帰ったが、警備が厳しく館の中に入れなかったため、入り口近くの松にかけたとも伝わっています。
    大泉寺の入口にあった松がその松だといわれていましたが、現在は枯れてしまいその跡に石碑が建てられています。
    またその切り株は寺で保存されています。
  • 禅長寺頼政堂
    関連人物 源頼政,菖蒲御前
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ゼンチョウジヨリマサドウ)
    禅長寺は元は真言宗の寺院で弘法大師の開基と伝わります。大師がこの地で大滝の傍らに不動尊を彫刻し、山上に虚空蔵菩薩を、小滝に観世音菩薩を安置したのが始まりとされ、寛永年間(1624~1645)に村民に請われた雪厳和尚が当寺に住み、開山となって禅宗に改めました。
    伝説では、宇治川の戦いで戦死した源頼政の遺骨を、妻の菖蒲御前が故郷に近いこの地に持ち帰り、山中の当寺に潜んだといわれています。
    元禄11年(1698)頼政の後裔と称する上野高崎城主松平輝貞が改築寄進したものが現在の頼政堂です。建物は寄棟造、瓦葺、平屋建の市内唯一の典型的な禅宗式仏殿建築として市の有形文化財に指定されています。堂内には頼政と菖蒲御前の仏像が安置され、境内には菖蒲塚と、頼政・菖蒲御前の墓地と伝えられているものがあります。
  • 大泉寺
    関連人物 阿野全成,阿野時元,阿波局
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    (ダイセンジ)
    源頼朝の異母弟阿野全成の居館跡といわれる地に建つ寺。
    境内には館跡を偲ばせる土塁が残っています。 全成が居館に建てた持仏堂が大泉寺のはじまりといわれ、当初は真言宗の寺でしたが、天正年間(1573~92)に曹洞宗に改宗されたとされています。
    ▼大泉寺 HP
    開基は法華院殿阿野法橋全成(ほっけいんでんあのほうきょうぜんじょう)である。牛若丸と弁慶の話は誰でも知っているが、源頼朝に今若丸(いまわかまる)という異母兄弟がいたことは余り知られていない。この今若丸がのちの阿野全成である。牛若丸と今若丸は源義朝と常磐の間に生まれ、平治の乱で義朝が敗北したあと寺に預けられたのも同じなら乱暴者で名が通っていたのも同じである。今若丸は醍醐の悪禅師とも呼ばれ、治承4年(1180)頼朝挙兵後その傘下に加わり、源平の争乱後駿河の阿野荘(沼津市今沢から富士市吉原にかけてを阿野庄といった)を賜って阿野全成と呼ばれるようになる。
    北条時政の娘(阿波局)と結婚し、現在の大泉寺あたりに館を建てその一隅に持仏堂を造り源氏一門の霊を慰めたのが寺の始まりで、最初は真言宗であったという。
  • 伝阿野全成・阿野時元の墓(大泉寺内)
    関連人物 阿野全成,阿野時元
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    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (デンアノゼンジョウ・アノトキモトノハカ(ダイセンジナイ))
    大泉寺の境内には源頼朝の異母弟阿野全成と、その子、時元のものと伝わる墓石があります。
    時元の母は北条義時と政子の妹にあたる阿波局といわれています。

    ▼伝阿野全成・時元墓 看板より
    阿野全成は、幼名は今若丸といい清和源氏の嫡男源義朝の七男です。鎌倉幕府を開いた頼朝の異母弟、義経の同母兄にあたり、母は有名な常磐御前です。
    頼朝の死後、建仁3年(1203)5月、全成は阿野庄において兵を挙げましたが、幕府軍に捕らえられ常陸国へ配流となり、同年6月23日、下野国で処刑されました。首は阿野庄の全成館へ届けられたと伝えられています。
    その後、全成の遺児時元も承久元年(1219)2月11日、反北条の兵を挙げましたが、執権北条義時はただちに兵を差し向け、交戦10日の後に阿野一族は敗北して、時元も自刃しました。
  • 徳源寺
    関連人物 源頼朝
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (トクゲンジ)
    源頼朝が富士の巻狩の際に、現在の寺地に陣営を構えたといわれ、「御殿場」の地名が生じたといわれています。
    その後、陣屋は「今律寺」という寺を経て、北条時宗の帰依を受けた円覚寺開山仏光国師(無学祖元禅師)の弟子、賢宗禅師によって安泰山徳源禅寺が建立されました。賢宗禅師は円覚寺建立に尽力し、後光厳上皇より勅諡号圓護国禅師と紫衣を賜りました。
    境内には「頼朝お手植えの松三代目」とされる数百年たった松があります。
  • 日枝神社
    関連人物 源頼朝
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ヒエジンジャ)
    ▼日枝神社 HPより
    この地域は平安時代大岡庄と称され、関白藤原師通の領地でした。
    嘉保2年(1095)、美濃守源義綱が延暦寺の僧、山王の神主を殺害する事件があり、関白藤原師通は延暦寺の訴えを拒絶した為、僧・神主に呪詛されて山王の祟りを受け38才で死亡しました。
    師通の母は近江国の日吉大社の御神霊を分祀し八町八反の田を寄進して謝罪の礼を表されたのが起源です。時に、第73代 堀河天皇の時代、永長元年(1096)のことです。
    神社に伝わる大釜は、源頼朝に縁のもので、建久4年(1193)の富士の巻狩りの際、炊飯用に使用されたものだといわれています。
  • 妙覚寺
    関連人物 六代
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミョウカクジ)
    日蓮宗の寺で、開山は日安、文永年中に創建されました。 寺伝によると、「平維盛の子六代は、仏門に入り文覚の弟子となって妙覚といった。建久年間文覚の謀叛に連座して、相模国手越川原において誅せられたが、その臣斎藤六範房が、六代の首級を抱いて千本松原に至り、以前の擬刑の地に埋めて、ひそかに下河原に移り住み、朝夕香花をたむけて六代の冥福を祈った。 範房は正治2年(1200年)に伊豆にのがれ住んだが、再び沼津に来住した。その孫に当たる利安は、日蓮が来沼して法を説くのを聞き、これに帰依して名を日安と改め、自宅を精舎として、満松山妙覚寺と号した。満松はこの地の旧名で、妙覚は六代の法名である。日安は当寺の開山で延慶元年(1308年)11月12日に遷化した。」と伝えられています。
    宝物として、日蓮真筆の曼陀羅・消息文をはじめ、日昭・日朗・日進・日実筆の曼陀羅数幅があり、今川・武田両氏の朱印状などを残しています。また、境内には、作家・井上靖が沼津中学時代ここに寄宿していた縁で、文学碑が造られています。
  • 霊山寺五輪塔
    関連人物 平重盛
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (リョウゼンジゴリントウ)
    通称「れいざんじ」と呼ばれている、曹洞宗永平寺派の寺です。昔は真言宗の寺院でしたが、延享5年(1748)に火災に遭って寺記をことごとく焼失したため、創建の年代などは不詳です。伝説によれば、天平の詔によって創立されたものといわれています。永禄元年(1557)に宗祖の道元禅師より12世の法孫である機外永宜和尚が、伊豆国北条村の真珠院の住職であった時、当寺に招かれて中興開山となりました。このために真珠院を本寺とし、曹洞宗に改宗しました。塔頭として、光明院・西光院がありましたが、後者は廃寺となり、前者は平成13年(2001)大岡三明寺に移転しました。 境内にある梵鐘には、貞治3年(1364)の銘があり、現存するものとしては県下で4番目に古いもので、県の有形文化財に指定されています。墓地には変形宝筺印塔が4基、五輪塔が3基あり、市の史跡に指定されています。このうち凝灰岩で造られたひときわ大きな五輪塔は平重盛の墓という言い伝えがありましたが、江戸時代に青銅製の蔵骨器がみつかり、その銘から元享3年(1323)に亡くなった成真大徳という僧侶の墓であることが判明しました。
  • 蓮光寺
    関連人物 牧の方
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    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    当地は北條時政の後妻、牧の方の一族である牧氏の館があった地と伝わっています。館の跡地に寺が建てられ、今の蓮光寺のもとになりました。