スタンプラリー第二弾!開催予定!

STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 十国峠(源実朝の歌碑)
    関連人物 源実朝
    営業時間 8:50~16:50
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ジュッコクトウゲ(ミナモトノサネトモノカヒ))
    十国峠は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国を見渡せることからその名が名付けられました。 峠の最高部には、源実朝が箱根権現・伊豆山権現・三嶋大社を参拝する「二所詣」の際に詠んだ歌の歌碑が建てられています。 「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 この歌は実朝が22歳のときのものと言われており、沖の小島とは初島のことだろうと考えられています。『吾妻鏡』によれば、実朝22歳の建保2年(1214)は、正月と9月の2回伊豆山・箱根権現の二所詣が行われているとされている。
  • 禅長寺頼政堂
    関連人物 源頼政,菖蒲御前
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ゼンチョウジヨリマサドウ)
    禅長寺は元は真言宗の寺院で弘法大師の開基と伝わります。大師がこの地で大滝の傍らに不動尊を彫刻し、山上に虚空蔵菩薩を、小滝に観世音菩薩を安置したのが始まりとされ、寛永年間(1624~1645)に村民に請われた雪厳和尚が当寺に住み、開山となって禅宗に改めました。
    伝説では、宇治川の戦いで戦死した源頼政の遺骨を、妻の菖蒲御前が故郷に近いこの地に持ち帰り、山中の当寺に潜んだといわれています。
    元禄11年(1698)頼政の後裔と称する上野高崎城主松平輝貞が改築寄進したものが現在の頼政堂です。建物は寄棟造、瓦葺、平屋建の市内唯一の典型的な禅宗式仏殿建築として市の有形文化財に指定されています。堂内には頼政と菖蒲御前の仏像が安置され、境内には菖蒲塚と、頼政・菖蒲御前の墓地と伝えられているものがあります。
  • 滝川神社
    滝川神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (タキガワジンジャ)
    ▼滝川神社 看板より
    平家討伐に挙兵した源頼朝は、治承4年(1180)の富士川の合戦に際し当社で戦勝を祈願し、建久4年(1193)の富士の巻狩り時には、直径五寸程の黄金の玉を奉納したと伝えられています。

    滝川神社は現在でも「滝川の浅間さん」と呼ばれていますが、江戸時代以前には「原田浅間社」や「新宮」、または「父宮」などと呼ばれていました。これは、かぐや姫の養父の竹取翁を祀っていたことからきている呼び名とみられます。
  • 曽我八幡宮
    曽我八幡宮
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ソガハチマングウ)
    この神社には、応神天皇と曽我兄弟が祀られています。
    神社が所蔵している「曽我八幡宮略縁起」には、建久8年(1197)、曽我兄弟の親の仇討ちの意志に感心した源頼朝が家臣の岡部泰綱に命じて建てたといわれています。
     天文年間(1532~1555)に武田、今川、北条の三氏の戦場になったため神社は焼けてしまいました。江戸時代になり、慶長14年(1609)に、関東代官の伊奈備前守忠次が検地のため、この地に来た時に、神社は再建されたとされています。その後、天保2年(1831)雨宮守弘が社殿を現在地に移しました。
     この神社には、奉納された曽我兄弟の絵馬や「曽我八幡宮略縁起」の版木が残されています。(現在は富士山かぐや姫ミュージアムに寄託)
     また、雁をみて父を思う幼い兄弟像が境内にあります。
  • 高源寺
    高源寺
    関連人物 源頼朝,比企尼,丹後の局
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (コウゲンジ)
    源頼朝が石橋山の戦いに挑む際の旗揚げの地とされており、源頼朝が源氏再興の密議をしたと伝えられています。

    ▼比企尼の供養塔 看板より
    源頼朝が伊豆に流されたとき、頼家の乳母である比企尼も現在の函南町大竹に住み、頼朝公を守られました。
    敷地内にはその比企尼のものと伝わる供養塔があります。
  • 逢初橋
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源
    (アイゾメバシ)
    治承2年(1178)、伊豆国の蛭ヶ島に流されていた源頼朝は、伊豆山密巌院の阿闍梨覚淵の坊にいました。その頼朝を慕って伊豆山へやってきたのが北条政子。政子は父北条時政が決めた伊豆国目代山木兼隆との婚礼の夜に伊豆山へ逃れ、足川の地に隠れたのだといい、その知らせを受けた頼朝と政子が劇的な対面をしたのがこの逢初橋だったと伝えられています。
    ※江戸時代以前は、別の場所にありました。
  • 日吉神社
    日吉神社
    関連人物 源頼朝,鮫島四郎
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヒヨシジンジャ)
    富士郡鮫島村出身の鮫島四郎宗家の氏神です。
    宗家は頼朝が韮山で平氏追討の旗揚げをしたときから頼朝に仕えた武士で、富士川の合戦では道先案内をつとめたと考えられています。
  • みそぎの滝社
    みそぎの滝社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ミソギノタキヤシロ)
    みそぎの滝社は、伊豆に配流の身だった源頼朝が日金山(東光寺)や伊豆山(伊豆山神社)に参詣した際に、渓流の滝で禊(みそぎ)をした場所だとされています。 伝説によると、禊をした後、傍らの草むらでまどろんでいると、滝の中に白蛇が現れる夢を見たと言います。 これを「源氏再興の挙兵をせよ」とのお告げと考えた頼朝は、武運を祈願し祠を奉じたのだと伝えられています。
  • 源頼家の墓・源頼家公廟道(源氏公園内)
    関連人物 源頼家
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミナモトノヨリイエノハカ・ミナモトノヨリエコウビョウドウ(ゲンジコウエンナイ))
    修善寺と対面する鹿山(しかやま)のふもと源氏公園内の指月殿隣にあります。
    正面に立っている石柱は元禄16年(1703)頼家500回忌の際に、時の修禅寺住職が建てた記念碑。
    本当の墓は記念碑の奥にある小さなもので、三基あるうち真ん中が頼家、両側が側室の若狭の局(わかさのつぼね)とその子一幡(いちまん)のものといわれています。
  • 相生堂
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アイオイドウ)
    平治の乱(平治元年(1159))の翌年、伊豆・蛭ケ島に流された源頼朝と、承安3年(1173)後白河法皇に京都・神護寺再興の寄進を強要した大罪により、伊豆・田方の奈古屋の毘沙門堂に配流の身となった文覚上人が、ひそかに会った相生堂跡が宮内地区にある。文覚上人はここで頼朝に平家討伐を説得し、しきりにその決意をうながしたといいます。

    頼朝と文覚上人は源氏再興について話し合ったことを記念して、ここにお堂を建てて観世音菩薩を安置し、2本の松を植えた。これがいわゆる「相生堂」であり、「相生の松」であります。建久3年(1192)平家と藤原氏を滅ぼして征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開いた頼朝は、文覚上人と会った日のことを忘れず、相生堂に対して寺領200石を寄進。また慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光が、12石の朱印状をこのお堂に与えています。
    しかし明治維新後廃堂となり、やがていつの間にか朽ちはててしまい、「相生の松」も枯れてしまった。ただ、生鉄和尚が書いた「相生堂」の扁額や、源頼朝・文覚上人の木像は近くの円通寺に移され、今もそこに往時のなごりをとどめています。
  • 八幡神社(哆胡神社)
    八幡神社(哆胡神社)
    関連人物
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ハチマンジンジャ(タゴジンジャ))
    源頼朝が旗揚げの際、京都岩清水八幡宮に拝礼し、八幡宮は武士の守護神となりました。出典:伊豆大辞典、伊豆の源氏等

    ▼?胡神社 看板より
    「えびすさま、はちまんさまといわれ、千年前からおまつりされていた、三島明神(事代主神)は、始めは元宮に、後に飯盛山の地に、八幡社は、大田子山崎の地に鎮座され、明治14年(1881)12月、合併されて、現在地合ノ浦に神殿を造営鎮座された。
    他に、神明社(天照大神)山神社(大山祇神)天神社(菅原道真命)天玉社(須佐之男命)稲荷社等おまつりしてある。」
  • 人穴
    関連人物 源頼家,新田忠常
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒトアナ)
    ▼溶岩洞穴「人穴」 看板より
    「溶岩洞穴「人穴」は、富士山の旧期側火山溶岩流(約11000年前~約8000年前)に属する犬涼み山溶岩流上より形成された。犬涼み山は標高1210mの側火山(寄生火山)で、この溶岩流は大量に西方の朝霧高原へ流下している。
    鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、建仁3年(1203)鎌倉幕府二代将軍源頼家の命によって、洞内を探検した武士(新田忠常とその家来)が霊的な体験をした話が載せられている。この中で「人穴」は、「浅間大菩薩の御在所」とあり、当時、この穴が富士山信仰に関係する場所であったことがうかがえる。」
  • 安達藤九郎盛長の墓
    関連人物 安達盛長
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アダチトウクロウモリナガノハカ)
    安達藤九郎盛長は、源頼朝が伊豆の流人となった頃から側近として仕えていた武将で、頼朝の死後、鎌倉二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり幕政に参画しましたが、翌年66歳で死去しています。
    妻は頼朝の乳母・比丘尼の娘・丹後の局、娘・亀御前は、頼朝の異母弟・源範頼の妻であったため、この地に墓があると言われています。
  • 史跡北条義時の墓(北條寺内)
    関連人物 北条義時,北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (シセキホウジョウヨシトキノハカ(ホウジョウジナイ))
    ▼北条義時夫妻の墓 看板より
    北条義時は北条時政の次子で、源頼朝夫人の政子はその姉である。幼少より、江間の舘に育ち、江間小四郎と称した。頼朝の旗揚げ以来、父時政、兄宗時とともに従い、大功があった。
    鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の系統が絶えると、京都より頼朝の姉の曽孫にあたる藤原頼経を迎えて自らは執権となり、勢威を極めた。後鳥羽上皇はその専横を憤り、承久3年(1221)院宣をくだして義時を討とうとされた。義時はその子泰時、義時房に大軍を率いて京都に攻め上らせ、官軍を大いに破り、帝を廃し、後鳥羽、順徳、土御門の三上皇を配流した。これが世に言う承久の乱である。
    義時は承久の乱の3年後、元仁元年(1110)六月十三日に62歳で急死した。長子泰時らは、北条氏発祥の地にあるこの寺に墓を建て、追善の碑とした。なおこの墓は向かって右が義時、左が後妻伊賀氏娘の墓である。
  • 豆塚神社
    豆塚神社
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (マメヅカジンジャ)
    『延喜式神名帳』にある「石徳高神社」に比定される式内社。 創祀年代は不詳ですが、かつては、当社の南にある男山(雄徳山)山頂に鎮座していたといいます。 北条義時が小池堀丸山(現伊豆縦貫道料金所付近)から現在の場所へと移したことが、江戸時代の板銘に記されている。
  • 寒竹浅間神社
    寒竹浅間神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (カンチクセンゲンジンジャ)
    治承4年(1180)源頼朝富士川の合戦で当社を物見台として陣地とし、境内の小竹を篝火の燃料としたとあり、また、静岡県の神社明細書には、戦国時代永禄年間(1560)頃の創建と記されています。


    加えて、寒竹浅間神社は、かぐや姫を育てた老夫婦の屋敷があった場所と伝えられています。寒竹とは、竹の一品種で高さ2~3mになり秋から冬にかけて竹の子が出て生長します。
    この地に同社が鎮座する理由も、周辺が竹林に覆われた物語の舞台に相応しい様相だったことが影響すると考えられます。
  • 曽我兄弟霊地
    関連人物 源頼朝,曽我十郎祐成,曽我五郎時政,仁田忠常
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ソガキョウダイレイチ)
    曽我八幡宮の高台に曽我兄弟の供養塔があります。
    この辺りで兄の十郎が仁田忠常に討たれたと伝えられています。

    曽我兄弟の墓は、兄弟が討死したこの地と、兄弟の育った曽我荘(現小田原市曽我)の城前寺に作られているが、非業の最期を遂げた兄弟の霊は御霊信仰と習合して祀られ、各地に曽我兄弟の墓が見られます。
  • 狩宿の下馬桜(井出家高麗門及び長屋)
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (カリヤドノゲバザクラ(イデケコウライモンオヨビナガヤ))
    ▼狩宿の下馬桜 看板より
    この地は「狩宿」といわれ、建久4年(1193)源頼朝が、富士の巻狩の際に陣屋を設けた所と伝えられる。頼朝の本陣(宿所)は井出館におかれ当時の館は、現在の井出家の北東側にあったと言われている。
    「狩宿の下馬桜」は、別名「駒止めの桜」と呼ばれ、頼朝が桜の枝に馬をつないだと伝えられる。

    ▼井出家高麗門及び長屋 看板より
    井出家は中世以来の歴史を持つ名家で、その邸宅周辺は源頼朝の富士の巻狩の際の宿所となった地であると理解されている。
    この建物は中央に袖塀を備えた高麗門(表門)を開き、両側に長屋を付属させたもので、建築年代は江戸時代中期の火災等により定かではないが随所にみられる大工等の技術伝承の特質から、近世上層農家の特徴を持つ古くからの建築様式を継承した貴重な建造物である。
  • 史跡北条氏邸跡(円成寺跡)
    関連人物 北条時政,北条義時,北条政子
    営業時間 9:00~17:00(公開時間)
    QRコードの掲示場所は史跡の手前のため、いつでも読み取りはできます。
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シセキホウジョウシテイアト(エンジョウジアト))
    北条氏邸は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。北条氏邸跡が位置する守山は北条氏の本拠地で鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれていました。守山の東側には氏寺である願成就院が建てられ、北西側の谷の内部には館が建てられました。平成4年(1992)から平成5年(1993)にかけて行った発掘調査では平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物とともに建物跡が発見され、北条氏の館があることが確認されました。 弘元3年(1333)、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼(えんじょうに)という女性が中心になって、館の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、江戸時代まで続いたことが分かっています。 北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、北条氏の興亡を物語る遺跡として国指定史跡に指定されました。
  • 秋戸郷跡
    秋戸郷跡
    関連人物 北条政子,源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アキトノゴウアト)
    ▼秋戸郷 看板より
    この地は、北条政子が平氏の手より隠れ逃れた場所で、秋戸郷と言われている。 治承4年(1180)8月23日、源頼朝は石橋山合戦に挙兵しましたが、戦に敗れて安房に逃れました。 この間政子は、走湯山に身をひそめて頼朝の安否を気づかっていました。9月2日、政子は、伊豆山権現の別当文陽房覚淵:かくえん:の計らいで密かに熱海の秋戸郷(阿伎戸郷とも書く)に移されました。秋戸郷は足川を南の境とする走湯山:そうとうさん:の神域東南隅にあり、浜の方からしか入れないうえ、船着場も近く、神威を後ろ楯に覚淵の保護も行き届き、平氏方の捜査をくらませることが出来ました。その日のうちに土肥実平の子・遠平から、頼朝が安房に逃れるまでの経過を知らされたが、頼朝が船に乗ってからの事は分からないので、その夜の秋戸郷には喜びも悲しみも出る道がなかったのでしょう。この年の10月7日頼朝は鎌倉に入り、秋戸郷をたった政子は、12日、頼朝との再会を喜びあったと思われます。
    「吾妻鏡」、「熱海市史」他より
  • 實相寺
    實相寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ジッソウジ)
    源頼朝が平家打倒の祈願を行ったと伝えられています。