10月20日から謎解きWebスタンプラリー開催!

STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 北条宗時の墓
    北条宗時の墓
    関連人物 北条宗時,狩野茂光
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ホウジョウムネトキノハカ)
    北条宗時は、北条時政の嫡男で北条政子の兄です。 治承4年(1180)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝に従いますが、頼朝軍は山木兼隆を討った後、8月24日、相模国の石橋山で大庭景親軍に大敗し、頼朝は山中へ逃れました。 『吾妻鏡』によれば、北条時政と宗時、義時の父子は頼朝と別行動をとり、時政と義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥(現湯河原町)から桑原を経て平井郷へ向かおうとしました。しかし、早河の辺で伊東祐親の軍に包囲され小平井久重に討ち取られたのだといいます。のちに時政がこの地に宗時を祀ったものと伝えられています。 大小二基の塔のうち、大きい方が北条宗時、小さい方が狩野(工藤)茂光の墓と言われています。 『吾妻鏡』によれば、建仁2年(1202)、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の追善供養を行っています。
  • 首かけの松の石碑(大泉寺内)
    関連人物 阿野全成,阿野時元,阿波局
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (クビカケマツノセキヒ(ダイセンジナイ))
    阿野全成が謀反の罪で斬られた時、その首が子の時元のいるこの地まで飛んできて松の木にかかったと言われています。
    また、家臣が首を持ち帰ったが、警備が厳しく館の中に入れなかったため、入り口近くの松にかけたとも伝わっています。
    大泉寺の入口にあった松がその松だといわれていましたが、現在は枯れてしまいその跡に石碑が建てられています。
    またその切り株は寺で保存されています。
  • 藍澤五卿神社
    関連人物 藤原宗行,藤原光親,源有雅,藤原範茂,藤原信能
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (アイザワゴキョウジンジャ)
    鎌倉幕府の北条氏により執権政治が行われていた承久3年(1221)、後鳥羽上皇は政権を朝廷に取り戻そうと倒幕計画を進めた。これを知った幕府が直ちに兵を挙げ京を攻め落としたのが「承久の乱」である。首謀者である上皇は隠岐島へ流され、主だった上皇方の公卿や御家人を含む武士達が粛清された。藤原宗行は捕えられた5人の公家の内の1人で、京より鎌倉に送られる途中、鮎沢で最期を遂げたと「吾妻鏡」に記されています。

    宗行は上皇の信任厚く、上皇に中国の帝王学の書「貞観政要」を進講するなど、学識深く文学に秀で多くの詩歌を残しており、地元の人々は藍澤神社を創建し祭ることとしました。現在では、他の4人の公家、藤原光親・源有雅・藤原範茂・藤原信能を合わせて藍澤五卿神社として祭っています。
    宗行卿の墓、五卿慰霊塔のほか、浩宮殿下がお立ち寄りになられたことを記念する記念樹が植栽されています。
  • 蛭ケ島
    関連人物 源頼朝,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒルガシマ)
    平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ヶ島に配流されました。
    永暦元年(1160)2月の14歳から、治承4年(1180)8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたといわれています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったといわれており、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三嶋の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。当時の蛭ヶ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(田島)であったと考えられます。 江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
    周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士に向って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
  • 眞珠院
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間 9:00~17:00(御朱印の受付時間)
    受付時間外でも敷地内に入ることはできます。
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (シンジュイン)
    中世に始まる曹洞禅林としての眞珠院は、歴代の住僧たちによって、近隣の寺を末寺として取り込み壮大な寺院に発展しました。
    八重姫を祀る静堂があり、伝承によれば、恋仲であった頼朝を慕って伊東から山を越え北条館を訪れた八重姫は、頼朝の心変わりを知り、この寺の前にある真珠ケ渕に身を投じたといわれています。堂の前には「せめて梯子があれば姫を助けられたものを」という里人の思いから、今も小さな梯子が奉納されています。 境内には正安4年(1302)銘の定仙大和尚塔、建武2年(1335)銘の宝篋院塔と五輪塔、貞治2年(1363)銘の阿弥陀如来磨崖仏(いずれも市指定文化財)が残されています。
  • 沓間神明宮
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (クツマシンメイグウ)
    沓間の神明宮周辺は、御殿場地方の名称「御厨」(みくりや)の中心となった地域とされ、このあたりを中心として、伊勢神宮に寄進された荘園「大沼鮎沢御厨」がありました。御厨には必ず神明宮が勧請されています。
    社宝として、大江山の鬼退治で有名な源頼光(金太郎として知られる坂田公時は頼光四天王の1人)奉納の鏡があり、寛和2年(986)と刻まれています。 沓間(くつま)という地名は建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩をした時、神明宮で蹴鞠をした際に沓(靴)を社前に置いたという伝承からきているといわれています。
  • 珍場神社
    珍場神社
    関連人物 北条義時,安千代
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (チンバジンジャ)
    北条義時が大蛇に呑み込まれて亡くなった嫡子・安千代の霊を祀るために建立したといわれています。 伝説では、かつて伊豆国江間の池田には、大池があり、大蛇が住んでいたといわれています。 北条義時の嫡子である安千代は、珍野村にあった千葉寺からの帰り道、大池の大蛇に呑み込まれてしまいました。 家来たちから事件を知らされた北条義時は、大いに怒り、大蛇の左眼を射たといいます。すると、大蛇はどこかへ去っていったのだそうです。その後、池は徐々に浅くなり、田地となって、その地は「池田」と名付けられたと言い伝えられています。
  • 伊那上神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イナカミジンジャ)
    式内社で、創建は不詳とされているが、平安時代初期、弘仁2年(811)伊予国(愛媛県)越智郡三島より遷祀したといい、また一説に弘仁8年(817)国府三島より遷祀したとも伝えられています。 社名については文治元年(1185)文書に、伊豆国那賀郡三島宮、慶長5年彦坂九兵衛の神領付には「松崎上宮神領分」とあり、正徳2年(1712)の棟札に伊那上宮とある。寛政7年(1795)円通寺との山論(山林の境界の争い)の評定所裁決書には三嶋大明神とあります。 神職金指(差)氏は、豆州志稿によると伊予国河野氏の後裔で三島明神と共に当地に来たといわれています。 日本書紀の応神天皇の巻に、新羅王が造船の匠を日本に送ったことが記されており、古い伝えでは、当地にも帰化したこの猪名部が集落を営み、産土神として、伊那上、下社を祀ったという帰化人奉祀説があり、那賀川の上、下により区別され、伊那上は三島神社の系統へ移っていったと思われます。 平安時代、延喜7年(907)式内社に列し、伊那下神社とは相対的に存在した社であった。鎌倉時代、「承安3年(1173)源頼朝公参詣三島明神」と金指家過去帳にあり、のち頼朝より、社田寄進を受け、社殿宏壮で末社80有余、伊豆西海岸第一の宮であったといい、 本殿内の神像6躰(町指定文化財)は、鎌倉前期の作で、同中期の神鏡「松喰双鶴鏡」、「釣燈籠」は県文化財に指定されています。
  • 音無神社
    音無神社
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (オトナシジンジャ)
    平治の乱後、伊豆国の蛭ヶ島に流された源頼朝は、一時、伊東の北の小御所で暮らしていたといいます。
    その時に出逢ったのが伊東祐親の娘八重姫。愛し合う二人が密かに会っていた場所がこの神社のある「おとなしの森」だったと伝えられ、対岸の「ひぐらしの森」は、頼朝が八重姫に会うため日暮れを待った所といわれています。
    やがて二人の間には男子が生まれ、千鶴丸と名付けられたが、伊東祐親の怒りに触れて殺され、二人の仲も引き裂かれたと伝承されています。
  • 曽我寺(鷹岳山福泉寺)
    曽我寺(鷹岳山福泉寺)
    関連人物 曽我十郎祐成,曽我五郎時致
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ソガデラ(ヨウガクザンフクセンジ))
    曹洞宗のお寺で、境内には曽我兄弟の墓があります。十辺舎一九の『東海道中膝栗毛』の中に「曽我兄弟の石碑(お墓)」を参拝したことや、江戸時代の絵図に「曽我道」があることから、江戸時代には東海道を旅する人たちの名所として参詣したと考えられます。
    正式には「福泉寺」と言いますが、曽我兄弟がねむる寺として人々に「曽我寺」の名で呼ばれています。
     本堂には、兄弟の木像や位牌が安置されています。かつては、仇討ちを果たした5月28日の近くの土日に、曽我兄弟の供養祭が盛大に行われていました。今でも御子孫や関係者によって供養が行われています。
  • 實相寺
    實相寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジッソウジ)
    源頼朝が平家打倒の祈願を行ったと伝えられています。
  • 堀藤次親家館跡
    堀藤次親家館跡
    関連人物 堀親家
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ホリノトウジチカイエヤカタアト)
    堀親家は、源頼朝が伊豆国の流人だった頃から頼朝に仕えていた武将です。 治承4年(1180)8月17日の頼朝の挙兵に参じ、山木館襲撃で活躍しました。相模国進軍後の石橋山の戦いでは、大敗して椙山に逃れた頼朝を守るため、佐々木高綱・加藤景廉・天野遠景らとともに奮戦したと言われています。
  • 安達藤九郎盛長の墓
    関連人物 安達盛長
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (アダチトウクロウモリナガノハカ)
    安達藤九郎盛長は、源頼朝が伊豆の流人となった頃から側近として仕えていた武将で、頼朝の死後、鎌倉二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり幕政に参画しましたが、翌年66歳で死去しています。
    妻は頼朝の乳母・比丘尼の娘・丹後の局、娘・亀御前は、頼朝の異母弟・源範頼の妻であったため、この地に墓があると言われています。
  • 白糸の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間 24時間(駐車場8:30-16:30)
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (シライトノタキ)
    富士山の雪解け水が、上部の水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。 高さ20m・幅150mの湾曲した絶壁から、大小数百の滝が流れ落ちおり、その姿は白糸の名にふさわしく、幾筋もの絹糸をさらしているよう。国の名勝及び天然記念物に指定されている。(平成2年日本の滝百選に選定) 富士の巻狩りの際に白糸の滝に立ち寄った源頼朝は「この上にいかなる姫やおはすらん おだまき流す白糸の滝」と歌っています。
  • 和田神社
    和田神社
    関連人物 和田義盛
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ワダジンジャ)
    ▼和田神社 看板より
    治承4年(1180)10月 富士南麓の加島平野で、源平の大合戦が展開されようとした時、源氏の大軍は今泉・原田の高台を中心に依田橋・鈴川・鮫島など当時の富士川東岸一帯に陣を敷いた。
    勢子村(今泉村)付近の守りを頼朝から命じられた和田義盛は東泉院(現日吉浅間神社)付近に本陣をおき、南側を流れる川に逆茂木をしかけて厳重に警備したと伝えられている。
    そのため、のちにその川を和田川と呼び陣を敷いた所を和田城、その付近の土地を「和田」と呼んだ。
    そして土地の人々は和田義盛をこの土地の守護神として神社を建てた。
    和田義盛は鎌倉での北条軍との戦いに敗れる。
    建保元年(1213)5月3日没す。
  • 豆塚神社
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (マメヅカジンジャ)
    『延喜式神名帳』にある「石徳高神社」に比定される式内社。 創祀年代は不詳ですが、かつては、当社の南にある男山(雄徳山)山頂に鎮座していたといいます。 北条義時が小池堀丸山(現伊豆縦貫道料金所付近)から現在の場所へと移したことが、江戸時代の板銘に記されている。
  • 旧植松家住宅
    関連人物 源頼朝
    営業時間 8:30~16:00(裾野市中央公園の開園時間)
    定休日 12月29日~1月3日(裾野市中央公園の休園日)
    富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (キュウウエマツケジュウタク)
    源頼朝が富士の巻狩りをした際に、尾張国津島(現愛知県津島市)より移住したと言われる植松氏の子孫が住んだ住宅。
    国指定重要文化財。
    建物自体はもともと裾野市石脇に建っていましたが、調査・保存のため現在地に移築されました。建築手法から江戸時代(18世紀より前)の豪農(農家の名主)の家の構造を維持しているといわれています。また、静岡県東部地域の古民家のなかでも保存状態が良く貴重な建物です。
    見どころ
    ・家を支える太い大黒柱と中柱・曲がりくねった梁
    ・職人技によって葺かれた茅葺(かやぶき)屋根など
  • 遠国島
    遠国島
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源
    (オンゴクトウ)
    田牛の岳浦というところにある島で、干潮時には歩いて渉ことができる。源頼朝が訪れ遊んでいたといわれ、中央に遠国明神の宮祠がある。
  • 呼子坂
    呼子坂
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア 歴史・文化資源
    (ヨビコザカ)
    ▼史跡 呼子坂 看板より
    治承4年(1180)富士川の合戦に際し、源頼朝率いる源氏の軍勢がこの付近の高台一帯に陣を敷き、ここで呼子を吹いて軍勢を集めたことからこの呼び名が付けられたと伝えられています。
  • みそぎの滝社
    みそぎの滝社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ミソギノタキヤシロ)
    みそぎの滝社は、伊豆に配流の身だった源頼朝が日金山(東光寺)や伊豆山(伊豆山神社)に参詣した際に、渓流の滝で禊(みそぎ)をした場所だとされています。 伝説によると、禊をした後、傍らの草むらでまどろんでいると、滝の中に白蛇が現れる夢を見たと言います。 これを「源氏再興の挙兵をせよ」とのお告げと考えた頼朝は、武運を祈願し祠を奉じたのだと伝えられています。
  • 十国峠(源実朝の歌碑)
    関連人物 源実朝
    営業時間 8:50~16:50
    定休日
    東伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ジュッコクトウゲ(ミナモトノサネトモノカヒ))
    十国峠は、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国を見渡せることからその名が名付けられました。 峠の最高部には、源実朝が箱根権現・伊豆山権現・三嶋大社を参拝する「二所詣」の際に詠んだ歌の歌碑が建てられています。 「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 この歌は実朝が22歳のときのものと言われており、沖の小島とは初島のことだろうと考えられています。『吾妻鏡』によれば、実朝22歳の建保2年(1214)は、正月と9月の2回伊豆山・箱根権現の二所詣が行われているとされている。