10月20日から謎解きWebスタンプラリー開催!

STORY

~『ぶし(武士)のくに』から『ふじ(富士)のくに』へ~

静岡県では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「どうする家康」(NHK)の放送を契機に
伊豆・富士山地域の歴史・文化資源を活用し、本地域への来訪や周遊促進、消費喚起に取り組んでいます。

静岡県伊豆・富士山地域には源頼朝と北条政子が深い信仰を寄せ、江戸時代には徳川将軍も崇拝した伊豆山神社や、
源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社、北条氏ゆかりの願成就院、幕末に開港された伊豆下田港など、
武家社会の成立から終焉までに関する歴史・文化資源が多く存在しており、いわば「ぶし(武士)のくに」といえます。

このサイトの各ページでは、伊豆・富士山地域の歴史・文化資源の魅力を様々な形で紹介しています。

武士の世の始まり(前編)
【伊豆・富士山歴史絵巻①】

武士の世の始まり(後編)
【伊豆・富士山歴史絵巻②】

北条政子
源頼家
源頼朝
北条時政
北条義時
和田義盛
比企能員
梶原景時
仁田忠常
八重姫
安達盛長
北条宗時
伊東祐親
大江広元
阿野全成
三浦義澄
中原親能
足立遠元
三善康信
八田知家
二階堂行政

伊豆・富士山歴史絵巻の旅へ

  • 右内神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ウナイジンジャ)
    梅名の右内神社は中島の左内神社と共に三嶋大社の御門の守護神で、大社と関係の深い神社です。源頼朝も三嶋大社への途上で度々参詣したといわれています。
    あるとき、手洗い水がないことを不自由に思った頼朝が薙刀(なぎなた)で地面を二三度突いたところ、そこから水が湧き出したといいます。以後、村人はこの「頼朝の手洗い水」を大切にしました。
    鳥居が面している道は道幅が狭く交通量も多くありませんが、東へ進むと道祖神が祀(まつ)られており、その先はかつて中郷村役場のあった梅名公民館へ通じています。
    神社の北を通る県道141号ができる前の地図を見ると、かつては中郷小学校から右内神社前、公民館、大場橋へと通じる道が地域にとって重要な道であったことがうかがえます。
  • 周福寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シュウフクジ)
    もとは頼朝が三嶋大社参詣の折いつも休んでいたという、稲荷社(現在の間眠神社)前の小堂で、建久元年(1190)頼朝がこの地に移して寺とし、薬師如来及び両脇侍を安置して寺号を宝鼎山周福寺と名付けたという。寺伝には、ある夜頼朝が稲荷社前の小堂で休んでいると吉夢を見たので、堂の傍らに松を植えたという、間眠の松についての異説が伝えられている。
  • 工藤祐経の墓
    関連人物 工藤祐経,曽我十郎祐成,曽我五郎時政
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (クドウスケツネノハカ)
    ▼工藤祐経の墓 看板より
    曽我の隠れ岩から100mほど東にあたるこの墳墓は、曽我兄弟(兄十郎祐成、弟五郎時致)に討たれた工藤祐経の墓と伝えられています。
    この地は、建久4年(1193)5月28日夜半、雷雨の中、工藤祐経が曽我兄弟に討ち入られ最期を遂げた地だと言われています。
    この墓は、曽我兄弟によって討たれた工藤祐経がこのちに埋められたと伝えられることから、長い間ひっそりと守られてきました。
  • 六萬部寺
    六萬部寺
    関連人物 源頼朝
    営業時間 9:00~16:00
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ロクマンベジ)
    平治の乱後、伊豆国流罪となった源頼朝は、配流地の蛭ヶ島で父義朝の菩提を弔いながら過ごしていたといいます。

    六萬部寺の経塚は、頼朝が、父祖の冥福と源氏の再興を祈念し、法華経六萬部を埋納したと場所と伝えられており、経塚はもとは円墳だったものを利用したものだといいます。
  • 藤原光親の墓
    藤原光親の墓
    関連人物 藤原光親
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (フジワラノミツチカノハカ)
    承久の変(承久3年(1231))のとき、後鳥羽上皇が北条氏の討伐の企てに際し、藤原光親卿は極力時期尚早を上奏しましたが聞き入れられず、義時追討の案文を書きました。
    謀議はいち早く鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、甲斐武田五郎信光により、鎌倉護送の途中の篭坂峠において斬首されました。
    毎年5月に地元の人々により、慰霊祭がとり行われています。
  • 小鍋神社
    小鍋神社
    関連人物 文覚上人,源頼朝
    営業時間
    定休日
    南伊豆エリア 歴史・文化資源
    (コナベジンジャ)
    伊豆に流された文覚上人と源頼朝の、源氏再興にまつわる話が残されています。
    文覚上人が頼朝の父義朝のドクロを頼朝に見せ、源氏再興を促したと伝えられています。
    後にドクロを埋葬した場所は神社の南側の樫の巨木の下といわれ、ドクロ木と呼ばれています。
    また、源頼朝の兵が露営した際、兵たちが鍋を借り集めたというエピソードも、小鍋の地名の由来として残っています。
  • 人穴
    関連人物 源頼家,新田忠常
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ヒトアナ)
    ▼溶岩洞穴「人穴」 看板より
    「溶岩洞穴「人穴」は、富士山の旧期側火山溶岩流(約11000年前~約8000年前)に属する犬涼み山溶岩流上より形成された。犬涼み山は標高1210mの側火山(寄生火山)で、この溶岩流は大量に西方の朝霧高原へ流下している。
    鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、建仁3年(1203)鎌倉幕府二代将軍源頼家の命によって、洞内を探検した武士(新田忠常とその家来)が霊的な体験をした話が載せられている。この中で「人穴」は、「浅間大菩薩の御在所」とあり、当時、この穴が富士山信仰に関係する場所であったことがうかがえる。」
  • 豆塚神社
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (マメヅカジンジャ)
    『延喜式神名帳』にある「石徳高神社」に比定される式内社。 創祀年代は不詳ですが、かつては、当社の南にある男山(雄徳山)山頂に鎮座していたといいます。 北条義時が小池堀丸山(現伊豆縦貫道料金所付近)から現在の場所へと移したことが、江戸時代の板銘に記されている。
  • 願成就院
    関連人物 北条時政,北条義時,北条泰時
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 火曜日、水曜日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源スタンプラリー対象
    (ガンジョウジュイン)
    創建は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)。
    源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、北条時政が建立しました。
    歴史書「吾妻鏡」には、時政が建立してから三代執権北条泰時の頃までの様子が記されています。
    時政が建立した大御堂と南塔、二代執権北条義時が亡父時政公供養として建立した南新御堂、三代執権北条泰時による北條御堂と北塔の建立など、堂塔伽藍の営作は北条氏三代にわたります。
    そして、承久2年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする旨が朝廷よりくだされ、この地に「浄土様式」の壮大な寺院が北条氏の寺として造営されました。昭和48年(1973)に、境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として国指定史跡になっています。
  • 史跡北条義時の墓(北條寺内)
    関連人物 北条義時,北条政子
    営業時間 10:00~16:00
    定休日 水曜日
    中伊豆エリア 歴史・文化資源
    (シセキホウジョウヨシトキノハカ(ホウジョウジナイ))
    ▼北条義時夫妻の墓 看板より
    北条義時は北条時政の次子で、源頼朝夫人の政子はその姉である。幼少より、江間の舘に育ち、江間小四郎と称した。頼朝の旗揚げ以来、父時政、兄宗時とともに従い、大功があった。
    鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の系統が絶えると、京都より頼朝の姉の曽孫にあたる藤原頼経を迎えて自らは執権となり、勢威を極めた。後鳥羽上皇はその専横を憤り、承久3年(1221)院宣をくだして義時を討とうとされた。義時はその子泰時、義時房に大軍を率いて京都に攻め上らせ、官軍を大いに破り、帝を廃し、後鳥羽、順徳、土御門の三上皇を配流した。これが世に言う承久の乱である。
    義時は承久の乱の3年後、元仁元年(1110)六月十三日に62歳で急死した。長子泰時らは、北条氏発祥の地にあるこの寺に墓を建て、追善の碑とした。なおこの墓は向かって右が義時、左が後妻伊賀氏娘の墓である。
  • 陣馬の滝
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ジンバノタキ)
    ▼富士宮歩く博物館 看板より
    「鎌倉時代の初め、建久4年(1193)のこと、富士山の麓で巻狩を催した源頼朝が、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いた。それから後、その滝を陣馬の滝というようになったと伝えられている。」
  • 指月殿
    関連人物 源頼家,北条政子
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (シゲツデン)
    桂川を挟んで修禅寺と相対する鹿山の麓にあります。修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進したといわれる経堂です(現在の建物は江戸時代に再建されたものです(市有形文化財))。
    この時寄進された宋版大蔵経のうち巻第二十三、釈迦三尊繍仏は、県有形文化財に指定されており、北条政子直筆といわれる書き込みもあります。なお、 門前の虎渓橋も架け替えたといわれています。
    堂内中央に安置されている仏像は、右手に蓮華を持ち、拈華微笑の故事に基づく禅宋式の木造釈迦如来坐像で、県有形文化財です。 堂に向かって左手に頼家の墓があります。
  • 音無神社
    音無神社
    関連人物 源頼朝,八重姫
    営業時間
    定休日
    東伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (オトナシジンジャ)
    平治の乱後、伊豆国の蛭ヶ島に流された源頼朝は、一時、伊東の北の小御所で暮らしていたといいます。
    その時に出逢ったのが伊東祐親の娘八重姫。愛し合う二人が密かに会っていた場所がこの神社のある「おとなしの森」だったと伝えられ、対岸の「ひぐらしの森」は、頼朝が八重姫に会うため日暮れを待った所といわれています。
    やがて二人の間には男子が生まれ、千鶴丸と名付けられたが、伊東祐親の怒りに触れて殺され、二人の仲も引き裂かれたと伝承されています。
  • 禅長寺頼政堂
    関連人物 源頼政,菖蒲御前
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ゼンチョウジヨリマサドウ)
    禅長寺は元は真言宗の寺院で弘法大師の開基と伝わります。大師がこの地で大滝の傍らに不動尊を彫刻し、山上に虚空蔵菩薩を、小滝に観世音菩薩を安置したのが始まりとされ、寛永年間(1624~1645)に村民に請われた雪厳和尚が当寺に住み、開山となって禅宗に改めました。
    伝説では、宇治川の戦いで戦死した源頼政の遺骨を、妻の菖蒲御前が故郷に近いこの地に持ち帰り、山中の当寺に潜んだといわれています。
    元禄11年(1698)頼政の後裔と称する上野高崎城主松平輝貞が改築寄進したものが現在の頼政堂です。建物は寄棟造、瓦葺、平屋建の市内唯一の典型的な禅宗式仏殿建築として市の有形文化財に指定されています。堂内には頼政と菖蒲御前の仏像が安置され、境内には菖蒲塚と、頼政・菖蒲御前の墓地と伝えられているものがあります。
  • 東田中浅間神社
    東田中浅間神社
    関連人物 和田義盛
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア 歴史・文化資源
    (ヒガシタナカセンゲンジンジャ)
    富士の巻狩に際し、和田義盛が小高い丘に腰を下して昼食を取った際、箸代わりに使った楓の枝が芽吹いて森になったと伝わっています。
  • 飯森浅間神社
    飯森浅間神社
    関連人物 源頼朝
    営業時間
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (イイモリセンゲンジンジャ)
    富士川の合戦のときに兵糧を置いたので飯守から飯森と名前が変化した、あるいは飯森山の神さまを祀ってるからこの名前になった等の由来あります。また、かぐや姫の召使を祀るとも言われています。
  • 妻塚観音堂
    関連人物 源頼朝,大庭景親
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (サイヅカカンノンドウ)
    ▼妻塚観音堂由来 石碑より

    蛭ヶ島に流罪中の頼朝は、源家の再興を祈願して、100日の間毎夜大社に詣でる事を決めました。一方平家の命により頼朝を見張る任を命じられた山木判官兼隆は、当時大場から多呂、北沢の辺りまでを領していた豪族大庭景親に頼朝をひそかに殺すことを命じました。
    景親の妻は多少源氏に縁のある者の娘でありましたので、夫の景親をいさめ、頼朝をたすけてくれる様なんども頼みましたが聞き入れてはくれず、丁度頼朝の満願の日が近づいてまいりました。景親は暗闇にまぎれ道に隠れ頼朝の来るのを待ちました。すると女の着物をきた頼朝らしい姿を見つけ、「女に化けるとは卑怯なやつ。」と抜く手も見せずに斬り倒しました。しかしよくよく見るとそれは頼朝ではなく、なんと夫を思いとめようとして頼朝の身代わりになった自分の妻だったのです。景親は大変悲しみそこに塚をたてて菩提を弔ったといいます。
  • 北条義時館跡(江間公園)
    関連人物 北条義時
    営業時間
    定休日
    中伊豆エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (ホウジョウヨシトキヤカタアト(エマコウエン))
    北条義時が青年時代を過ごした場所。現在は石碑のみが建てられています。
    北条義時は、伊豆国北条郷の豪族北条時政の次男。
    江間四郎あるいは江間小四郎と呼ばれた義時は、分家の江間家の初代だったと考えられています。
    菩提寺の北條寺の近くにある江間公園は、義時邸があった所と伝えられる地です。
    江間公園にある碑には「北条義時(江間小四郎義時)屋敷跡」と刻まれています。
  • 佐奈田堂
    関連人物 佐奈田義忠
    営業時間
    定休日
    富士山東エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (サナダドウ)
    治承4年(1180)石橋山合戦で戦死した相模佐奈田城主佐奈田興一義忠の堂。

    ▼佐奈田堂の由来 石碑より
    治承4年(1180)8月23日源頼朝の家臣佐奈田与一義忠公は平氏討伐の旗揚げに当たり一軍の将として石橋山で戦い、敵将股野五郎景久と対峙した折、敵が大群であったので作戦を夜襲に変更した。闇の中で景久と取っ組み合いとなった与一は、味方のかわす合言葉に痰のため返答できず、味方討ちとなって散った(二十五才)
  • 富士山本宮浅間大社
    関連人物 源頼朝,北条義時
    営業時間 5:00-20:00(4月~9月)、5:30-19:30(3月、10月)
    6:00-19:00(11月~2月)
    定休日
    富士山西エリア スタンプラリー対象歴史・文化資源
    (フジサンホングウセンゲンタイシャ)
    浅間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されるようになりました。
    歴代武将の事跡も多数ありますが、中でも特に篤い崇敬を寄せたのは、源頼朝・北条義時・武田信玄勝頼親子・徳川家康でした。
    源頼朝公は、建久4年(1193)富士山麓において巻狩りを行った際、流鏑馬を奉納したと言われ、富士宮市指定無形民俗文化財「富士山本宮浅間大社流鏑馬」の起源とも言われています。北条義時は、社殿の修復などを行いました。
  • 妙覚寺
    関連人物 六代
    営業時間
    定休日
    北伊豆エリア 歴史・文化資源
    (ミョウカクジ)
    日蓮宗の寺で、開山は日安、文永年中に創建されました。 寺伝によると、「平維盛の子六代は、仏門に入り文覚の弟子となって妙覚といった。建久年間文覚の謀叛に連座して、相模国手越川原において誅せられたが、その臣斎藤六範房が、六代の首級を抱いて千本松原に至り、以前の擬刑の地に埋めて、ひそかに下河原に移り住み、朝夕香花をたむけて六代の冥福を祈った。 範房は正治2年(1200年)に伊豆にのがれ住んだが、再び沼津に来住した。その孫に当たる利安は、日蓮が来沼して法を説くのを聞き、これに帰依して名を日安と改め、自宅を精舎として、満松山妙覚寺と号した。満松はこの地の旧名で、妙覚は六代の法名である。日安は当寺の開山で延慶元年(1308年)11月12日に遷化した。」と伝えられています。
    宝物として、日蓮真筆の曼陀羅・消息文をはじめ、日昭・日朗・日進・日実筆の曼陀羅数幅があり、今川・武田両氏の朱印状などを残しています。また、境内には、作家・井上靖が沼津中学時代ここに寄宿していた縁で、文学碑が造られています。